「有名人が亡くなると、大々的に葬儀が行われ、其処に大勢の有名人が出席。そんな彼等を取材陣が取り囲み、インタヴューを行う。」、一昔前は良く見掛けた光景。然し、「葬儀は、簡素に行いたい。」とか「葬儀は必要無い。」という考えが一般人の間に広がる中、近年は有名人が亡くなった際、「葬儀は身内だけの家族葬で済ませ、後に“偲ぶ会”を開く。」というケース、又は「家族葬だけしか行わず、偲ぶ会も行わない。」というケースも増えている。「葬儀や戒名、墓なんか不要。葬儀を行うなら、身内だけで充分。」と考えている自分からすると、納得出来る傾向では在る。
先日亡くなった松方弘樹氏の場合、近しい6人だけで葬儀が行われたと言う。後日、“御別れの会”が行われるそうだが、「近しい人間だけで見送って上げたい。」という“御遺族”の気持ちが、葬儀に強く反映されたのだろう。
葬儀に加わった梅宮辰夫氏が、其の様子を語っていた。涙を流し乍ら語る其の姿からは、故人との深い関係性が感じられ、此方もグッと来る物が。特に印象に残ったのは、荼毘に付された際の話。御遺体が1時間程火で焼かれ、取り出された時、梅宮氏はこう感じたそうだ。
「骨だけが、バラバラになって出て来た。悲しかった。人間って、こんな簡単な物なのかと思いました。」。
自分は幼い時に父を病気で亡くしたが、火葬場で全く同じ事を感じた。体調は悪かったものの(藪医者からは「単なる風邪でしょう。」と診断されていた。)、亡くなるなんて誰も思っておらず、亡くなる直前迄、普通に会話したり動いたりしていた父が、今は骨という“物”になってしまった事に、大きなショックを受けたのだ。
以降、「人は魂が抜け落ちたら、単なる物になってしまう。」という思いがずっと在る。過去に雑司ヶ谷霊園や谷中霊園等で、有名人の墓所を訪れた時、「魂が抜け落ちる前ならば、こんなに近付く事すら無理だったけれど、抜け落ちた後は可能なのだから、偉い人だろうが何だろうが、亡くなったら皆同じなのだなあ。」と、何度か思った。