ハムぞー所長様の記事「知っていましたか」で、1万円札の図柄が変わっていた事を初めて知った。現在流通している紙幣の変化に気付かなかったというのは不覚千万なれど、自分にとっては一番縁の無い紙幣だからこそ気付かなかったとも言える。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
ところで、ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」(月曜日~土曜日、深夜1時)が放送開始から40周年を迎えるという。「1967年10月にスタートしたというのだから、昨年10月が40周年では?」という疑問も浮かぶが、ニッポン放送が「今年で40周年。」としているのだから野暮な事は言うまい。
これを記念して本日(23日)午後1時から「オールナイトニッポン40時間スペシャル」が放送される。これ迄にパーソナリティーを務めて来た者は300人を超えるが、懐かしのパーソナリティー達が登場して記念番組を盛り上げるという。
以前の記事「あなたもハガキ職人に」でも触れた様に、学生時代はラジオ番組を良く聞いていた。中でも「吉田照美の夜はこれからてるてるワイド」と「ビートたけしのオールナイトニッポン」の両番組は、ほぼ欠かさずに聞いていたし、「何とか番組内のコーナーで読んで貰おう。」とネタを葉書に書いてしばしば送っていたものだった。「オールナイトニッポン」のパーソナリティーと言えば、自分等の世代ではビートたけし氏の他に笑福亭鶴光氏やタモリ氏、中島みゆきさん等が思い浮かぶのだろうが、彼等の番組は殆どと言って良い程聞いておらず、自分にとっては「オールナイトニッポンのパーソナリティー=ビートたけし氏」という思いしかない。強いて言えば、彼が担当していた1部が終わった直後に放送される2部担当の谷山浩子さんの番組を惰性で聞いていた位か。(オープニング曲の「てんぷら☆さんらいず」[試聴]は結構好きだったが。)
昨日の東京新聞(朝刊)に「『オールナイトニッポン』40周年」という特集記事が組まれていた。「『オールナイトニッポン』開始以前の深夜帯は、文化放送の土居まさる氏の番組が人気で、番組を外注していたニッポン放送は聴取率調査で最下位。テレビの普及による危機感も在り、『音楽と共に若者に語り掛ける番組を作ろう。』との思いから『オールナイトニッポン』はスタートした。」、「番組の“自由”を守る為、スポンサーは放送で競合他社に触れない等の制約が大きい『提供』では無く、『協賛』の形を採った。その為広告収入が少なく、局側はパーソナリティーに良く『ギャラが安くて申し訳ない。』と謝っていた。」という逸話はなかなか興味深い。自由度が高かった分、タブーぎりぎりに挑戦するという姿勢は、昔から同番組の特徴でも在った訳だ。(あのねのねの「ピーナツ事件」や「山手線大パニック事件」、塚越孝アナウンサーの「特別番組 吉田拓郎を偲んで事件」等。)
そして「『オールナイトニッポン』担当期間が長いパーソナリティートップ10」というのが紹介されていたのだが、「笑福亭鶴光氏かビートたけし氏辺りが1位かな?」という自分の予想は外れ、何とナインティナインが1位なのだそうだ。
****************************
「『オールナイトニッポン』担当期間が長いパーソナリティートップ10」
1位: ナインティナイン - 13年10ヶ月(1994年4月~)
2位: 福山雅治氏 - 13年8ヶ月(1992年1月~1994年7月、1994年11月~1997年12月、2000年4月~)
3位: 笑福亭鶴光氏 - 11年6ヶ月(1974年4月~1985年9月)
糸居五郎氏 - 11年6ヶ月(1967年10月~1972年9月、1975年1月~1981年6月)
5位: 松任谷由実さん - 11年(1988年4月~1999年3月)
6位: 斉藤安弘氏 - 10年6ヶ月(1967年10月~1972年9月、1973年7月~1974年6月、2003年9月~)
7位: ビートたけし氏 - 10年(1981年1月~1990年12月)
8位: 中島みゆきさん - 8年(1979年4月~1987年3月)
9位: タモリ氏 - 7年(1976年10月~1983年9月)
とんねるず - 7年(1985年10月~1992年9月)
****************************
今日の特別番組で先陣を切るのは、大好きなビートたけし氏。18年振りに高田文夫氏との名コンビ復活となりそうだが、当時は若手芸人で良くスタジオにも来ていた“画伯”や“邦ちゃん”の乱入は在るのか?色々楽しみだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
ところで、ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」(月曜日~土曜日、深夜1時)が放送開始から40周年を迎えるという。「1967年10月にスタートしたというのだから、昨年10月が40周年では?」という疑問も浮かぶが、ニッポン放送が「今年で40周年。」としているのだから野暮な事は言うまい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_tehe.gif)
以前の記事「あなたもハガキ職人に」でも触れた様に、学生時代はラジオ番組を良く聞いていた。中でも「吉田照美の夜はこれからてるてるワイド」と「ビートたけしのオールナイトニッポン」の両番組は、ほぼ欠かさずに聞いていたし、「何とか番組内のコーナーで読んで貰おう。」とネタを葉書に書いてしばしば送っていたものだった。「オールナイトニッポン」のパーソナリティーと言えば、自分等の世代ではビートたけし氏の他に笑福亭鶴光氏やタモリ氏、中島みゆきさん等が思い浮かぶのだろうが、彼等の番組は殆どと言って良い程聞いておらず、自分にとっては「オールナイトニッポンのパーソナリティー=ビートたけし氏」という思いしかない。強いて言えば、彼が担当していた1部が終わった直後に放送される2部担当の谷山浩子さんの番組を惰性で聞いていた位か。(オープニング曲の「てんぷら☆さんらいず」[試聴]は結構好きだったが。)
昨日の東京新聞(朝刊)に「『オールナイトニッポン』40周年」という特集記事が組まれていた。「『オールナイトニッポン』開始以前の深夜帯は、文化放送の土居まさる氏の番組が人気で、番組を外注していたニッポン放送は聴取率調査で最下位。テレビの普及による危機感も在り、『音楽と共に若者に語り掛ける番組を作ろう。』との思いから『オールナイトニッポン』はスタートした。」、「番組の“自由”を守る為、スポンサーは放送で競合他社に触れない等の制約が大きい『提供』では無く、『協賛』の形を採った。その為広告収入が少なく、局側はパーソナリティーに良く『ギャラが安くて申し訳ない。』と謝っていた。」という逸話はなかなか興味深い。自由度が高かった分、タブーぎりぎりに挑戦するという姿勢は、昔から同番組の特徴でも在った訳だ。(あのねのねの「ピーナツ事件」や「山手線大パニック事件」、塚越孝アナウンサーの「特別番組 吉田拓郎を偲んで事件」等。)
そして「『オールナイトニッポン』担当期間が長いパーソナリティートップ10」というのが紹介されていたのだが、「笑福亭鶴光氏かビートたけし氏辺りが1位かな?」という自分の予想は外れ、何とナインティナインが1位なのだそうだ。
****************************
「『オールナイトニッポン』担当期間が長いパーソナリティートップ10」
1位: ナインティナイン - 13年10ヶ月(1994年4月~)
2位: 福山雅治氏 - 13年8ヶ月(1992年1月~1994年7月、1994年11月~1997年12月、2000年4月~)
3位: 笑福亭鶴光氏 - 11年6ヶ月(1974年4月~1985年9月)
糸居五郎氏 - 11年6ヶ月(1967年10月~1972年9月、1975年1月~1981年6月)
5位: 松任谷由実さん - 11年(1988年4月~1999年3月)
6位: 斉藤安弘氏 - 10年6ヶ月(1967年10月~1972年9月、1973年7月~1974年6月、2003年9月~)
7位: ビートたけし氏 - 10年(1981年1月~1990年12月)
8位: 中島みゆきさん - 8年(1979年4月~1987年3月)
9位: タモリ氏 - 7年(1976年10月~1983年9月)
とんねるず - 7年(1985年10月~1992年9月)
****************************
今日の特別番組で先陣を切るのは、大好きなビートたけし氏。18年振りに高田文夫氏との名コンビ復活となりそうだが、当時は若手芸人で良くスタジオにも来ていた“画伯”や“邦ちゃん”の乱入は在るのか?色々楽しみだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/b_face2_full_s.gif)
ポッドキャスティングかなんかでPCとかで聞けないかな。。。
「空飛ぶモンティ・パイソン」で芸能界デビューを果たしたばかりのタモリ氏(赤塚不二夫氏の書生をしていた頃。)や番組関係者の結婚式で司会を務めていた稲川淳二氏等、無名の存在をパーソナリティーに抜擢する斬新さがこの番組には在りました。
又、元記事で紹介されているのですが、「番組宛てに1974年、『私達の校歌を作って欲しい。』と長崎県立五島高校奈留分校(現同県立奈留高校)の生徒から要望が寄せられた際には、後にパーソナリティーとなる松任谷由実(当時は荒井由実)さんが『瞳を閉じて』を贈り、同校の愛唱歌になった。」という事も在ったそうです。
くりぃむシチュー(オープニングトークが大体30分とナイナイはやはり芸人枠ですから面白いです。さすがにミュージシャンとか若手の役者さんはこちとらとしてはきついので、電波状況がよければTBSの『JUNK』に合わせます。
画伯は来ませんでしたが県知事が電話出演しました。いきなり「国税庁です」と、殿がカマシましたが(笑)
殿とタモリは時間差で地方局でも流れるようです。
いきなり、
「本当ならホリエモンがここにいたんだぜ。」
ですからね(笑)。過去の録音も流してくれました。村田先生の声も懐かしかったです。
今更ながら、高田文夫氏の役割の大きさも認識しました。
僕個人はオールナイト・ニッポンは、拓郎さんやこうせつさんらをよく聞いてました。泉谷しげるさんもいい曲をよくかけてましたね。ちょうどつま恋コンサートにフォーライフレコード設立の頃でしたね。そして、土曜の夜は鶴光師匠!説明不要でしょう。
自分にとってザ・ドリフターズが“笑いの教科書”ならば、ビートたけし氏は“笑いの神様”でした。全盛期の彼はそれ程凄かったのですが、流石に往年のキレは無かった様に感じました。それでも高田文夫氏を相手にして、会話のキャッチボールをああも巧みに出来るというのは立派。2時間はあっという間。
過去の放送から「村田英雄大先生との遣り取り」を聞かせてくれたのは嬉しかった。ポール牧師匠やガッツ石松大先生、俵孝太郎氏のコーナーもチラッと聞かせて欲しかったですが(笑)。又、過去の放送の中で鶴太郎“画伯”の声(海外からの生放送と偽って流された物。)がチラッと聞けたのも収穫。
以前の記事(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/2bbe06700a75c5604e6c1a4d5759194f)でも記しましたが、自分も“ラ講”は良く聞いていました。西尾孝先生や伊藤和夫先生、J・B・ハリス先生、御園和夫先生、寺田文行先生、国広功先生等々、懐かしい御名前ばかりです。