「夏の終わり」を感じる事象に付いては人其れ其れ在るだろうが、自分の場合で言えば「24時間テレビ『愛は地球を救う』」が放送されると「嗚呼、夏も終わりだなあ・・・。」と感じる。或る意味「晩夏の風物詩」として定着した感の在る此の番組だが、「あんな偽善番組は嫌だ!」という声が上がるのも又、此の時期の定番と言って良い。
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「24時間テレビに批判続々 『ギャラ払うな。』、『障害者利用するな。』」(8月31日、J-CASTニュース)
日テレのチャリティー番組「24時間テレビ」に、ネット上での批判が止まない。タレントにギャラを払うとしたらおかしい、といった指摘の数々だ。毎回の様に噴出するが、其れでも稼ぐ視聴率が番組を支えている様だ。
「日本テレビは、数億円のCM収入料とタレントのギャラを、全額募金するべき。」、「チャリティーの割にギャラ入るとか矛盾してるよな。」。此れ等は、2010年8月29日付ヤフー・ニュースのコメント欄上位に在った書き込みだ。ニュースの見出しに「<はるな愛>母と抱き合い涙のゴール 『24時間テレビ』チャリティーマラソン」と在ったが、ネット・ユーザーは冷めて見ている訳だ。
日テレが同日迄の24時間で集めたと明かした募金額は、3億円弱。最終的には、其れより多くなる見込みだが、ギャラ等を含めて番組制作に多額の出費が在ると見られており、其れに厳しい目が向けられている。
更に、ツイッター上では、番組ヴォランティアをしたという男性の家族が、こんな告発をして注目を集めている。或る出演タレントがテレビ・スタッフに募金用の小銭を手渡されて、其れを募金箱に投げ入れたと言うのだ。
タレントに高額のギャラが払われたり、自らは募金もしていなかったりというのは本当なのか。
日本テレビの総合広報部に取材した所、担当者が忙しいという事だった。其処で、少し古いが、視聴者からBPOに寄せられた疑問に対し、日テレが2000年11月に回答した物が在る。
其れによると、タレントには基本的にヴォランティアで依頼しており、長時間出演の場合等に謝礼を支払っていると言う。其れも通常のギャラより少なく、タレントによっては辞退する事も在るとしている。又、殆どのタレントが自前で募金を持って来ると言う。
更に、ネット上で目立つのが、障害者を見世物にするなという批判だ。前出のヤフー・ニュースのコメント欄上位には、こうした書き込みが幾つか見られた。障害者というユーザーは、食い物にされていい迷惑だとして、「好い加減上から目線の番組作りは止めて下さい。」と訴えている。
同じ障害者でスポーツ・ライターの乙武洋匡さん(34歳)は、ツイッター上で2010年8月27日、「24時間テレビ、僕も好きな類いの番組では在りません。」と明かした。AKB48のメンバーが24時間テレビでダウン症の人達とダンスをする事に付いて、或るユーザーが障害者を利用して視聴率を稼ぐのは許せないと呟いたのに共感したコメントだ。
此の他、ニューハーフ・タレントのはるな愛さん(38歳)がチャリティー・マラソンを完走した事に付いても、疑問が出ている。ヤフーのコメント欄上位には、「放送終了目前のゴールこそ、毎年胡散臭いと感じる。」、「本当に85キロ走ったのか?」といった書き込みが並んでいる。
こうした批判が毎年繰り返され乍らも番組を止めないのは、其の高視聴率に在るらしい。今回は、平均視聴率が15.8%で、はるな愛さんがゴールした直後に瞬間最高視聴率35.7%を記録した。ネット上では、番組の存続に理解を示す声も一部で在り、2ちゃんねるでは、「遣らない善より遣る偽善。」、「TVで遣ってるのは全部娯楽。」等と書き込まれている。
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最初に断わっておくが、自分は「感動を押し付ける様な演出」は苦手だ。あざとい計算を弄し、自分の看板番組で「感動やなあ。」とか「此れって素晴らしいやん。」みたいな「感動の押し売り」をする島田紳助氏が大嫌いで、彼がTVに出ていると即座にチャンネルを変えてしまう程。
出演するタレント達が無理無理に「視聴者に感動を与える様なコメント」を捻り出そうとしているのが露骨に見えてしまうし、上記の「障害者を登場させてのあざとい感動演出」も感じられるので、24時間テレビは深夜帯の馬鹿馬鹿しいコーナー(熱湯コマーシャル等。)位しか見なくなって随分になる。でも24時間テレビに対するステレオタイプな批判には、個人的に疑問を感じてもいる。
先ず念頭に置かなければいけないのは、「此の番組が毎年6億円以上の募金を集め、番組開始から32年間で総額は281億円(2009年9月30日現在)を超えている。」という事実だろう。此の募金によって救われる障害者の人々は、決して少なくないと思うのだ。以前にも書いた事だけれど、「『偽善だ何だ。』と批判だけする人」よりも、「ギャラを貰おうが何だろうが実際に行動して、其の結果多額の募金集めに貢献している人。」の方が、自分は評価出来る。そもそも「ヴォランティア番組に出る人間は、ギャラを貰ってはいけない。」という考え自体が、自分はどうかと思っているし。
「障害者を見世物にするな。」という批判には、自分も100%反対するつもりは無い。乙武氏を始めとして、実際に障害を抱えておられる方の中には“24時間テレビ的演出”に不快感を感じる人も居られるだろうし、上記した様に自分も「感動の押し売り」は嫌いだから。
唯、其処に演出が在ったとしても、其れでも感動する人達が少なからず居るのも事実だろう。其の感動によって募金に踏み切る人も居るだろうし、そういう動機からの募金だからと言って、其れが悪いとも自分は思えない。「募金もしないでグダグダ批判している人」よりは、「どういう動機で在ろうとも、実際に募金するという行動を起こした人」の方が尊いと感じるから。
又、障害者に対して余りに過剰反応を示してしまう事で、却って障害者達の生活環境を狭めてしまったり、健常者への逆差別を生み出してしまう事を、自分は懸念する。嘗てテレビでも放送されていた事の在る所謂「小人プロレス」も、「不謹慎だ!」の一言で放送されなくなったと言われている。実際にプロレスに参加していた障害者の方が「多くの人が見てくれる事で、生計を立てられていたのに・・・。」と不満を述べておられたが、そういう点にも目を向けなければいけないのではないだろうか?差別助長は絶対に許せないけれど、だからと言って障害を抱えた人達を陰に隠す様なスタイルも違うと思うのだ。障害を実際に抱え乍ら、其れを笑いに転化している芸人・ホーキング青山氏の生き様は、個人的に好きだし。(彼の様な生き様だけが良いと言っている訳では無い。生き方は、人其れ其れなのだから。)
24時間テレビに関しては賛否両論在るだろうし、賛否両論在る事自体が或る意味健全と言えるのではないか。そして今回書いたのはあくまでも私見で在り、「其れが唯一無二的に正しい!」なんて痴がましさは持っていない事を、最後に書かせて貰う。
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「24時間テレビに批判続々 『ギャラ払うな。』、『障害者利用するな。』」(8月31日、J-CASTニュース)
日テレのチャリティー番組「24時間テレビ」に、ネット上での批判が止まない。タレントにギャラを払うとしたらおかしい、といった指摘の数々だ。毎回の様に噴出するが、其れでも稼ぐ視聴率が番組を支えている様だ。
「日本テレビは、数億円のCM収入料とタレントのギャラを、全額募金するべき。」、「チャリティーの割にギャラ入るとか矛盾してるよな。」。此れ等は、2010年8月29日付ヤフー・ニュースのコメント欄上位に在った書き込みだ。ニュースの見出しに「<はるな愛>母と抱き合い涙のゴール 『24時間テレビ』チャリティーマラソン」と在ったが、ネット・ユーザーは冷めて見ている訳だ。
日テレが同日迄の24時間で集めたと明かした募金額は、3億円弱。最終的には、其れより多くなる見込みだが、ギャラ等を含めて番組制作に多額の出費が在ると見られており、其れに厳しい目が向けられている。
更に、ツイッター上では、番組ヴォランティアをしたという男性の家族が、こんな告発をして注目を集めている。或る出演タレントがテレビ・スタッフに募金用の小銭を手渡されて、其れを募金箱に投げ入れたと言うのだ。
タレントに高額のギャラが払われたり、自らは募金もしていなかったりというのは本当なのか。
日本テレビの総合広報部に取材した所、担当者が忙しいという事だった。其処で、少し古いが、視聴者からBPOに寄せられた疑問に対し、日テレが2000年11月に回答した物が在る。
其れによると、タレントには基本的にヴォランティアで依頼しており、長時間出演の場合等に謝礼を支払っていると言う。其れも通常のギャラより少なく、タレントによっては辞退する事も在るとしている。又、殆どのタレントが自前で募金を持って来ると言う。
更に、ネット上で目立つのが、障害者を見世物にするなという批判だ。前出のヤフー・ニュースのコメント欄上位には、こうした書き込みが幾つか見られた。障害者というユーザーは、食い物にされていい迷惑だとして、「好い加減上から目線の番組作りは止めて下さい。」と訴えている。
同じ障害者でスポーツ・ライターの乙武洋匡さん(34歳)は、ツイッター上で2010年8月27日、「24時間テレビ、僕も好きな類いの番組では在りません。」と明かした。AKB48のメンバーが24時間テレビでダウン症の人達とダンスをする事に付いて、或るユーザーが障害者を利用して視聴率を稼ぐのは許せないと呟いたのに共感したコメントだ。
此の他、ニューハーフ・タレントのはるな愛さん(38歳)がチャリティー・マラソンを完走した事に付いても、疑問が出ている。ヤフーのコメント欄上位には、「放送終了目前のゴールこそ、毎年胡散臭いと感じる。」、「本当に85キロ走ったのか?」といった書き込みが並んでいる。
こうした批判が毎年繰り返され乍らも番組を止めないのは、其の高視聴率に在るらしい。今回は、平均視聴率が15.8%で、はるな愛さんがゴールした直後に瞬間最高視聴率35.7%を記録した。ネット上では、番組の存続に理解を示す声も一部で在り、2ちゃんねるでは、「遣らない善より遣る偽善。」、「TVで遣ってるのは全部娯楽。」等と書き込まれている。
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最初に断わっておくが、自分は「感動を押し付ける様な演出」は苦手だ。あざとい計算を弄し、自分の看板番組で「感動やなあ。」とか「此れって素晴らしいやん。」みたいな「感動の押し売り」をする島田紳助氏が大嫌いで、彼がTVに出ていると即座にチャンネルを変えてしまう程。
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先ず念頭に置かなければいけないのは、「此の番組が毎年6億円以上の募金を集め、番組開始から32年間で総額は281億円(2009年9月30日現在)を超えている。」という事実だろう。此の募金によって救われる障害者の人々は、決して少なくないと思うのだ。以前にも書いた事だけれど、「『偽善だ何だ。』と批判だけする人」よりも、「ギャラを貰おうが何だろうが実際に行動して、其の結果多額の募金集めに貢献している人。」の方が、自分は評価出来る。そもそも「ヴォランティア番組に出る人間は、ギャラを貰ってはいけない。」という考え自体が、自分はどうかと思っているし。
「障害者を見世物にするな。」という批判には、自分も100%反対するつもりは無い。乙武氏を始めとして、実際に障害を抱えておられる方の中には“24時間テレビ的演出”に不快感を感じる人も居られるだろうし、上記した様に自分も「感動の押し売り」は嫌いだから。
唯、其処に演出が在ったとしても、其れでも感動する人達が少なからず居るのも事実だろう。其の感動によって募金に踏み切る人も居るだろうし、そういう動機からの募金だからと言って、其れが悪いとも自分は思えない。「募金もしないでグダグダ批判している人」よりは、「どういう動機で在ろうとも、実際に募金するという行動を起こした人」の方が尊いと感じるから。
又、障害者に対して余りに過剰反応を示してしまう事で、却って障害者達の生活環境を狭めてしまったり、健常者への逆差別を生み出してしまう事を、自分は懸念する。嘗てテレビでも放送されていた事の在る所謂「小人プロレス」も、「不謹慎だ!」の一言で放送されなくなったと言われている。実際にプロレスに参加していた障害者の方が「多くの人が見てくれる事で、生計を立てられていたのに・・・。」と不満を述べておられたが、そういう点にも目を向けなければいけないのではないだろうか?差別助長は絶対に許せないけれど、だからと言って障害を抱えた人達を陰に隠す様なスタイルも違うと思うのだ。障害を実際に抱え乍ら、其れを笑いに転化している芸人・ホーキング青山氏の生き様は、個人的に好きだし。(彼の様な生き様だけが良いと言っている訳では無い。生き方は、人其れ其れなのだから。)
24時間テレビに関しては賛否両論在るだろうし、賛否両論在る事自体が或る意味健全と言えるのではないか。そして今回書いたのはあくまでも私見で在り、「其れが唯一無二的に正しい!」なんて痴がましさは持っていない事を、最後に書かせて貰う。
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以前にも書いたのですが、ネット上では思わず首を捻ってしまう様な書き込みが散見される。例えば或る人が或る事柄に付いて質問した事に関して、別の人が懇切丁寧に答えを寄せた際、其の事に付いて更に別の人間が“わざわざ”「自分はそんな事興味無いのに、何で回答した!」みたいな書き込みをしているケース。「関心が無いなら無いで、見なければ良いだけの話では?わざわざイチャモン付ける事も無かろうに。」思う訳ですが、こういう輩は典型的な「構って欲しいちゃん」と言えるでしょうね。他者を誹謗中傷する事“だけ”にエクスタシーを感じているかの様な人も居るし、「世の中には色んな人が居るなあ。」と苦笑しつつ、そういう輩に踊らされる事が無い様に改めて肝に銘じたりも。仰る様に、世論とも言えない様な書き込みに反論する程、不毛で馬鹿らしい事は無いですから。
24時間テレビというと、ランニング経験のないタレントに短期間のトレーニングしかさせないでいきなり夏に夜通し走らせて、案の定、痛めた足を引き摺らせながら歩く姿を延々と映す方が僕はよほど趣味の悪い見世物だと思います。
障害者を「表舞台」に出すことを「見世物」だと批判する人は、「ゲゲゲの女房」を見てどう思われるのでしょうか。
クマゼミさんのおっしゃるところの、「世論とはいえないようなもの」であるものを最近は新聞や週刊誌の記者までもが、引用した記事を掲載していますが、そういうものを読むと、
「お前らプライドがないのか!きちんと仕事せい!」
と思ってしまいます。
「24時間テレビ」自体、僕もたまたまテレビをつけた時にちょこっと見る程度ですが、過去には、車椅子でリハリビ生活を送る上田馬之助さんの近況や、かつて箱根駅伝を途中リタイアしたランナーが10数年ぶりにそのコースを走る、という企画には心を動かされました。今回、あの室谷信雄さんが出演していたと知り、検索してみて、そのシーンを見ることが出来ました。
http://www.youtube.com/watch?v=UF3uLXmPvEU
信じる者は寄付すればいい。売る名前がある人は、売ればいい。寄付金の大部分が慈善ならチャリティーとしての価値はあると思います。
PS.私も紳助は大嫌いです。自分で作った問題にアホ回答するタレントを「おバカ」呼ばわりする。暴走族をチアする。などなど
例えば日本で一番有名な募金事業といえば「赤い羽根共同募金」。子供たちをボランティアとして街頭に立たせたり、自治会単位で半強制的に募金集めする一方で、事業経費名目で募金の半分以上が途中で消え、実際に目的どおりに使われるのは半額にも満たないとか。
公に寄付を募る以上、会計報告を公にするのは当り前のことですが、募金額とその使途、寄付先の名前と渡った寄付の額などが、きちんと公に会計報告されたということがあるのでしょうか。さらに厳格に言うなら、寄付先でそのお金が実際にどう使われたのか、善意のお金を集めて預かった以上、検証する必要すらあると思います。
私が知らないだけかも分かりませんが。
昔はこの種の募金に気軽に応じ、「いいことをした」と自己満足に浸っていたこともありましたが、上記のような事実に気付いてからは、慈善に名を借りた商売に思えて気が進みません。
末端で声を枯らしてお金を集める人たちに「手弁当」を求めるなら、事業主体の中心にいる人たちも「手弁当」で活動すべきだし、そうであれば寄付金の大半が目的外の経費に消えるなんてことは起こりえないと、疑り深い悠々遊は考えてしまうのでした。
億万長者の場合はともかく、大概は彼らにはスポンサーが付いており、スポーツ選手の場合は現役時代のスポンサーがそのまま付いているケース、あるいはその活動振りを見て新規についてる場合があると思います。当然、「今は何をしてるのかよく分からないがチャリティをしてる」という表現になってしまう人々の場合はそのスポンサーから金が本人の生活費も込で出ていることになります。
それをどう考えるかはその人次第。
ただ元王族や億万長者の親族なんてのが絡むチャリティーの写真を見ると、こういう人に金が集中する社会のシステムが「恵まれない人に恵んでやる」彼らの職業を作っている、と皮肉な目で見てしまうことは確かです。
有名人の売名行為、とまでは言いませんが。
有名人の慈善活動は外国では盛んですが、その昔日本でも、年貢米をしっかり取り立てたお殿様が、飢饉の時に農民が餓死しない程度に米を分け与え「領民思いの名君」とされるような、一種の偽善を感じてしまうのです。
所謂「ヴォランティア団体」の中には、胡散臭さを感じる物もそこそこ在りますね。以前、渋谷の街頭で聞いた事の無い名称のヴォランティア団体が募金活動していました。街頭に立って募金活動をしているのが、どう見ても胡散臭い兄ちゃん達。どういう使徒で募金が使われるのか今一つ疑問に感じたし、流石に此の時は募金を控えた経緯が在ります。
名の通ったヴォランティア団体で在っても、少なからずの募金額が上層部(天下りの人々?)の余りに高額な給料等に使われていたりするケースが報じられる等、「困った人を助けるというよりも、上層部を肥やす為の組織じゃないの?」と感じる事も在ります。(以前の記事でも書いたけれど、「科学分野の予算を削減しようとすると、一方的にバッシングされてしまう現状」というのには疑問を感じています。真に国益に繋がる予算ならば削るべきではないけれど、特定の組織の特定の人々を肥やす事になっている部分には、国民一人一人が厳しい目を向けなければいけないと思うので。)
極論になってしまいますが、個人的には「チャリティーがビジネスで在っても良いのではないだろうか。」と思ったりしています。其のチャリティー・ビジネスによって少なからずの募金が、“本当に”困った人達を救う為に使われるならば、其れは其れでOKと思うので。勿論、自分も「対価を要求する事無くチャリティーに従事する。」というスタイルの方が感動するのだけれど、「困った人達をより多く救う。」という目的の前には、或る程度の「手段」は許容さるのではないかと考えるのです。
「所謂『セレブ』」と呼ばれる人達を集中して生み出したシステムが、『恵まれない人に金を恵んでやる。』という彼等の職業を作っている皮肉さ。」というのは、自分も同じく感じる所です。此れも人其れ其れ異なった考え方が在って当然とは思うけれど、「差別の徹底的排除を声高に叫ぶ一方で、天皇制の絶対性を叫ぶ。」というのは、個人的に解せない部分が在りますし。