****************************
・ 「私は兵籍番号が4219だったんだ。”死に行く”だよ。この番号を貰った日には、こりゃあ駄目だと思った。しかし、番号が一つ前の同期が戦死で、私が生き残った。」
・ 「『トータルサム・コンスタント』(『全ての総和は常に一定』の意味。)ですよ。人の一生は、短ろうが長かろうが一生は一生、トータルすれば皆公平なんですよ。海軍時代、酒を飲むと良くこの言葉を口にしたものです。まぁ、心の救いみたいなものでしょうな。」
・ (酒も煙草も嗜まない理由を問われて。)「酒を飲むとね、思い出すんですよ。死んで行った連中(戦友達)の顔をね。飲む度にそんなんだから、結局、全く飲まなくなってしまった・・・。」
・ (終戦を知り乍ら飛び立った事を問われ。)「戦争が続いている中、急に止まれと言われたって止まれないでしょ。まして、これから出撃で意気揚々としている、いよいよだという気持ちの時に、急ブレーキなんか利かんですよ。スピードの付いた車と同じですよ。」
・ 「特攻隊は半ば強制じみていた。あの場の雰囲気って不思議なもんだ。『特攻を希望する者は挙手をしろ。』と言う上官の声は何時にも増して力が入っている。誰かがすっと手を挙げた。次の瞬間さ。皆一斉に手を挙げやがった。勿論自分の手も挙がっていたよ。集団心理ってもんだろうな。兵舎に帰ってからは作戦会議だよ。どうやって生き残ろうかってね。」
・ 「特攻だなんて、あんな馬鹿な作戦を一体誰が考え出したのかと思ったね。当時もそう思ってましたよ。それで、自分は絶対死にたくないから、生きる為に芝居をする事も必要だと思う様になりました。編隊を組んだら芝居は出来ないから、なるべく単機で出撃して不時着を考える様になったんです。でも結局、飛行機を動かすのは操縦員だから、(偵察員の自分が)特攻で死ぬか生きるかは操縦員の士気次第。これが、予備学生の操縦員と組んだりしたら、やってられませんでしたよ。彼等は勢いが在り過ぎて・・・。純真な殉国の精神まっしぐらでしたから。」
****************************
「陸軍所属の軍人の軍歴は各都道府県庁に、海軍所属の軍人は厚生労働省に記録が残っている。」という”区分け”が在るのを初めて知ったし、「爆撃機は爆弾投下後に機体が惰性で沈む為、操縦員は操縦桿を力一杯引いて上昇させる。その際の重力は凡そ5Gから6Gとなる為、段々と視野が狭くなり、目の前が暗くなって行く。体調が悪いと、このGの為に失神する。引き起こし切れずに海面に激突し、殉職する事故も少なくなかった。この訓練を日に三回程やると、赤い尿が出た。」という体験談は壮絶さを感じてしまった。
又、「特攻」というと「十死零生」、即ち「一度飛び立ったら敵艦に突っ込み、絶対に生きて帰ってはならぬ。」といった教えを全ての上官がしていたイメージが在るが、701空搭乗員のトップで在る飛行長・江間保少佐は「艦隊司令部から全員特攻の命が出されたが、(中略)司令部に進言して特攻とは弾を敵艦に当てる事をいうのであって、自分が当たる事だけが特攻の全てでは無い、という信念を徹底させ、反復攻撃を実行して多大の戦果を挙げた。」という文章を残し、彼の下で攻撃105飛行隊長を務めていた北詰實大尉は出撃に当たって部下達に「どんな事が在っても、爆弾を当てて帰って来い。爆弾は一日で出来る。しかし、搭乗員は20年掛かる。充分に自重して、無理な飛行はするな。再挙を図れ、終わりっ!」と訓示していたとも。
吉田さんは”最後の特攻隊”の内の2機が突入したとされる伊平屋島を訪ね、其処でその跡地とされる場所に佇む。今は草が生えるばかりの空き地となっており、特攻機突入の痕跡が全く残っていないその場所。「其処に空いていた大きな穴(直径約20m、深さは約8m程だったとか。)は戦後5年位は残っていたけど、ゴミ溜めの穴として使われていたさぁ。」当時この地に住んでいた人物の証言だが、「特攻隊員達が命と引き換えに最後に刻んだ穴が、島の人にはゴミ溜めとして使われていた。複雑な思いと共に、戦争とは、いや人々の営みとはそういうものなのかもしれないと、私は納得した。」という彼女の文章が印象的だった。
・ 「私は兵籍番号が4219だったんだ。”死に行く”だよ。この番号を貰った日には、こりゃあ駄目だと思った。しかし、番号が一つ前の同期が戦死で、私が生き残った。」
・ 「『トータルサム・コンスタント』(『全ての総和は常に一定』の意味。)ですよ。人の一生は、短ろうが長かろうが一生は一生、トータルすれば皆公平なんですよ。海軍時代、酒を飲むと良くこの言葉を口にしたものです。まぁ、心の救いみたいなものでしょうな。」
・ (酒も煙草も嗜まない理由を問われて。)「酒を飲むとね、思い出すんですよ。死んで行った連中(戦友達)の顔をね。飲む度にそんなんだから、結局、全く飲まなくなってしまった・・・。」
・ (終戦を知り乍ら飛び立った事を問われ。)「戦争が続いている中、急に止まれと言われたって止まれないでしょ。まして、これから出撃で意気揚々としている、いよいよだという気持ちの時に、急ブレーキなんか利かんですよ。スピードの付いた車と同じですよ。」
・ 「特攻隊は半ば強制じみていた。あの場の雰囲気って不思議なもんだ。『特攻を希望する者は挙手をしろ。』と言う上官の声は何時にも増して力が入っている。誰かがすっと手を挙げた。次の瞬間さ。皆一斉に手を挙げやがった。勿論自分の手も挙がっていたよ。集団心理ってもんだろうな。兵舎に帰ってからは作戦会議だよ。どうやって生き残ろうかってね。」
・ 「特攻だなんて、あんな馬鹿な作戦を一体誰が考え出したのかと思ったね。当時もそう思ってましたよ。それで、自分は絶対死にたくないから、生きる為に芝居をする事も必要だと思う様になりました。編隊を組んだら芝居は出来ないから、なるべく単機で出撃して不時着を考える様になったんです。でも結局、飛行機を動かすのは操縦員だから、(偵察員の自分が)特攻で死ぬか生きるかは操縦員の士気次第。これが、予備学生の操縦員と組んだりしたら、やってられませんでしたよ。彼等は勢いが在り過ぎて・・・。純真な殉国の精神まっしぐらでしたから。」
****************************
「陸軍所属の軍人の軍歴は各都道府県庁に、海軍所属の軍人は厚生労働省に記録が残っている。」という”区分け”が在るのを初めて知ったし、「爆撃機は爆弾投下後に機体が惰性で沈む為、操縦員は操縦桿を力一杯引いて上昇させる。その際の重力は凡そ5Gから6Gとなる為、段々と視野が狭くなり、目の前が暗くなって行く。体調が悪いと、このGの為に失神する。引き起こし切れずに海面に激突し、殉職する事故も少なくなかった。この訓練を日に三回程やると、赤い尿が出た。」という体験談は壮絶さを感じてしまった。
又、「特攻」というと「十死零生」、即ち「一度飛び立ったら敵艦に突っ込み、絶対に生きて帰ってはならぬ。」といった教えを全ての上官がしていたイメージが在るが、701空搭乗員のトップで在る飛行長・江間保少佐は「艦隊司令部から全員特攻の命が出されたが、(中略)司令部に進言して特攻とは弾を敵艦に当てる事をいうのであって、自分が当たる事だけが特攻の全てでは無い、という信念を徹底させ、反復攻撃を実行して多大の戦果を挙げた。」という文章を残し、彼の下で攻撃105飛行隊長を務めていた北詰實大尉は出撃に当たって部下達に「どんな事が在っても、爆弾を当てて帰って来い。爆弾は一日で出来る。しかし、搭乗員は20年掛かる。充分に自重して、無理な飛行はするな。再挙を図れ、終わりっ!」と訓示していたとも。
吉田さんは”最後の特攻隊”の内の2機が突入したとされる伊平屋島を訪ね、其処でその跡地とされる場所に佇む。今は草が生えるばかりの空き地となっており、特攻機突入の痕跡が全く残っていないその場所。「其処に空いていた大きな穴(直径約20m、深さは約8m程だったとか。)は戦後5年位は残っていたけど、ゴミ溜めの穴として使われていたさぁ。」当時この地に住んでいた人物の証言だが、「特攻隊員達が命と引き換えに最後に刻んだ穴が、島の人にはゴミ溜めとして使われていた。複雑な思いと共に、戦争とは、いや人々の営みとはそういうものなのかもしれないと、私は納得した。」という彼女の文章が印象的だった。

祖父は、シベリア抑留者であり戦争の話になると旧ソ連への文句になっていました。
何年も苦役をさせられていたのだから当然かもしれません。
そんな祖父も、戦時中の話は殆どしてくれませんでした。
まだ小さかった当時の僕は、むしろ抑留の話より戦争の話の方に興味があったのですけどね。
それも、ある年齢に僕が達すと
「戦争にいったことがあるということは、人を殺した事があるという事」
という、あたり前のことをに初めて気が付くのでした。
その時以来、僕は祖父に対し戦争の事を聞く事が出着なくなりました。
戦争中のことですから罪に問われる事はありませんが、祖父の心にはひょっとすると罪の意識があったかもしれないと、祖父がが亡くなったいま、思うようになりました。
1億玉砕といわれた当時、それでも生きる方法を考えていたというのは、本当にリアリティーがありますね。
本音を包み隠さず話してくれていると思います。
終戦を知りながら特攻に散った人は哀れですけど、残された人
達もその後大きな苦悩に直面することとなります。
やはり人の一生は、短ろうが長かろうが一生は一生、トータルすれば皆公平なんですね。
本来あの戦争を無駄死にとしないためにはどうすればいいか、なのだろうが、かつてのものを復古させればいいみたいな左翼の延長線上にあるような単純さの右翼だから、かつてのゾンビ左翼は無反省に生き延びて復活するだろう。
あの戦争の結果と引き換えに私たちは何を得たのか、あの戦争を無駄死にさせないために考えることは、歴史をどう引き受けるかということだと思われますが、単に自分より前の世代を否定して自分達が進んでいるとした左翼もそれを更に否定して過去に戻ればいいというような右翼も歴史性を喪失した現代社会的な精神におもえます。
「右翼」や「左翼」、と言うよりも「極右」や「極左」と称される人達の思考には、概して似通った部分が少なくないと思っています。勿論全部が全部では在りませんが、「Aで無ければ、その真逆に在るBしか存在し得ない。」といった余りにも極端な思考。自分もかなり偏った思考の人間と自覚しておりますが(笑)、でも一つの方向性しか認めない様な狭量さにだけは陥らない様に留意しているつもりです。
どういう方向性の議論が在ろうがそれは個々人の自由ですが、唯、多くの犠牲者(これは日本国民だけでは無く。)の上に今の平和(それが例え表面的な物で在ったとしてもですが。)が在るのは間違い無く、その平和を維持する為に何をす可きか?、又、何をしてはならないのか?を個々人がしっかり考える必要が在るでしょう。過去を全否定しているだけでは何も見えて来ないし、同時に過去を盲目的に全肯定してもいけないでしょうね。
実際に特攻が行われてた当事も現在も冷静に判断できてないと思います。
パイロット一人を育てるには莫大な予算と膨大な手間隙がかかります。
それを一回の攻撃で爆弾を抱えて必ず死ぬ。
そのようなのは戦略的には百害あって一利なしです。
祖国を想い新でいった人達には言葉では言い表せないものがあります。
しかし美化することと、戦争が怖いから考えないようにする思想とが、あのような作戦を決定ししかも継続していった組織に対する検証をしないようにしているように感じます。
リアリティがなければ戦争に勝てません。
同じようにリアリティがなければ平和は維持でません。
特攻と憲法9条は同じ発想だと思います。
昨年、イスラエルがレバノンを攻撃したことで民間人が2000人も亡くなりました。 戦闘の様子は克明に報道されました。 夜中に発電所を破壊し、幹線道路と橋も破壊、ついで水道施設や空港を破壊して民間人が非難する道も国連が支援物資を輸送する道もたった1本の山道しかなくなりました。 狭い地域に人間を追い込んだところで地上部隊が戦車を先頭に侵攻を開始し地上戦となりました。 地上を移動する車はすべてロケットで攻撃し、市街地への攻撃もためらいなく行われました。 一定の戦果を挙げるまでアメリカは停戦決議に拒否権を出し続け、結果として民間人に多大なる犠牲が出てしまいました。 これが一つの戦争です。 遠い国の話ですが、十分にリアリティはあったと思います。
戦争に付いて触れる際にしばしば書いてる事なのですが、「戦争というのは多く人を殺害する事が評価されるという一般常識が通用しない異常な世界」ですので、「あの行為は残酷だ!」と一つ一つの事柄を論うのは虚しさを感じるというのは正直在ります。又、ソ連が”仁義”を重んじなかったというのも気持ち的には許し難い物が在りますが、然りとて戦勝国の論理が全てに於いて優先されてしまうのが戦争の常ですので、これも同様に論うのに虚しさを感じます。しかし”理屈”はそうで在っても、マヌケ様の挙げられた事柄や「九人の乙女の話」(http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/section.main/suisan.kanko/monogatari_kunin.htm)等には”人間として”怒りを覚えてしまうのも事実なんですよね・・・。
第二次世界大戦の経験談を見るたびに戦争ってのはいかんなとということと、戦争と国防は別に考えるべきなのかな思います。国は滅びてもいいから憲法九条を守れとわななくアンポンタンはスルーするとしてもね。やっぱり侵略を企てる特亜には睨みを効かせておきたいものです。
私はウヨクではないつもりですが、特攻隊で死んでいった若者たちに対しては何か負い目のようなものを感じていますね。
本当なら生きて好きな事を続けたい夢をもっていた学生もいたんだと思います。わたしは10代には親や先生の無理解に苦しんだりもしましたが、あとは大体好きなことをやって生きてきた。そうやって好きなことをやって生きていくと、好きな事を続けられないで死んでいった人たちに対して、「犬死」という評価を下すことはできないです。彼らの分も夢を生きていかなければならないんじゃないかと思ったりします。
特攻隊のことは学校教育でも取り上げていってほしいですね。それをどう思うかは生徒それぞれの自由で、けっして採点しないでほしい。「A君の意見は右翼的でちょっと問題だ」とか、そういう評価はすべきでないです。生徒ひとりひとりが異なる意見・感じ方をもつことをお互い分からせることができれば成功でしょう。戦争がすべて悪いという考えも間違い。べつに戦争がなくても人生は思うようにならず苦しいものなんですから。
「特攻隊員として死んで行った人達に負い目の様な物を感じる。」というのは良く判ります。前に「戦時中の若者が現代にタイム・トリップする。」というドラマを見たのですが、食べ物を平気で路上に捨てたり、オヤジ狩りをしていたりする現代の若者達を眼前にした彼が、「こんな国にする為に、俺達は死んで行こうとしたのか・・・。」と愕然とするシーンが在りました。この言葉には、かなりズシリと来る物が在りましたね。
この本の中でも触れられているのですが、「人生で一番楽しいと言っても良い青春期を暗い世相で生きなければならなかっただけでは無く、明日をも知れぬ日々を送らなければならなかった。」という若者が大勢居た事を考えると、自分達は本当に幸せだと感じますし、もっと有意義に生きなければと思います。
最近はどうか判りませんが、自分が学生の頃の歴史の授業では、近現代史はサラッと流す程度にしか教えませんでしたね。歴史的評価が未だ定まっていない時代、つまり入試には殆ど出ないという事が主たる理由でしたが、妙に偏った情報としてでは無く、事実を淡々とでも教えて欲しいと思います。題材を与えて、後は生徒個々人がどう捉えるかは委ねれば良いのですから。