「自分で自分を褒めて上げたい。」自虐的か否かの違いは在れど、今の自分の気持ちを表すと、有森裕子さんのあの言葉に尽きる。ジャイアンツ・ファン歴30余年は伊達で無く、このチーム関する悪い予感はかなりの高確率で当てて来ているのだ。そんな自分だからこそ「今回の対タイガース3連戦前に、ジャイアンツの3連敗も在り得る。」と悪い予感を有していたが、昨日の試合も負けた事でこの予感は哀しいかな的中する可能性が非常に高くなって来た。
昨日の試合、確かにタイガース先発の安藤優也投手の出来は良かった。昨日の試合”だけ”を見れば、ジャイアンツの負けは致し方なかったと言えるだろう。だがノムさんが良く口にする「勝ちに不思議な勝ち在り、負けに不思議な負け無し。」を「その通り。」と思っている自分からすれば、「連敗に偶然の連敗無し、必然の連敗在るのみ。」という確信めいた思いが在る。一つ一つの試合に勝負のターニング・ポイントが在る様に、公式戦の流れの中でも間違い無くターニング・ポイントが在る。そのターニング・ポイントで然る可き手をきちんと打った指揮官のチームは、仮に選手がその策に応えられなくて負けを喫したとしても連敗街道を突き進む事は先ず無く、逆のチームは連敗街道を突き進むというのが勝負の世界。一昨日の試合、即ち対タイガース3連戦の初戦は展開を考えればジャイアンツが是が非でも勝ちに行かなければならない試合だったし、タイガース・ファンの方々にとっては申し訳無いのだが”普通の采配”をしていればジャイアンツが勝てた試合だったと思っている。過去に何度も「急に崩れる”癖”」を見せていたパウエル投手を無意味に引っ張り続けたり、然る可き場面で然る可き手を打たなかったりと、原監督の学習能力&勝負勘の無さ、そしてそれに基づく雑な攻めが勝負の流れをジャイアンツからタイガースに一気に向かわせたというのが正しいだろう。
実は昨日、試合後の原監督がどういったコメントを出すか注目していた。首位陥落に付いてどう思うかなんていうのはどうでも良く、”勝負師”として一昨日の試合で自らが流れを変えてしまった事を認める”勇気”が在るかどうかがポイントで、もしそれを口に出来るならば(落合監督の凄さは、こういった事を口に出来る勇気にも在ると思っている。)ジャイアンツは再浮上の目が未だ残っていると踏んでいた。しかし予想通りと言う可きか、彼の口から発せられたのは「先発の久保は初回のホームランを打たれた後、良いピッチングでゲームを作った。明日からも全力で戦って行きます。」という、安倍首相の如き空虚で中身の無い鸚鵡返しのコメントのみ。残念乍ら原監督には勝負師として必要な勝負勘、ターニング・ポイントを見極める能力が著しく欠如しているという事なのだろう。今日の試合、恐らくジャイアンツは負けるだろう。負けは3連敗に留まらず、泥沼の敗戦街道を進む可能性も低くないと思っている。この予感が外れてくれる事を望むが・・・。
閑話休題。1945年(昭和20年)8月15日正午、所謂”玉音放送”によって日本の敗戦が国民に伝えられた。そして同日の夕刻、宇垣纏・第5航空艦隊司令長官率いる総計23名が艦上爆撃機・彗星計11機に搭乗、”最後の特攻隊”として沖縄の地に飛び立ち、内3機は不時着した為に5名が生還を果たすも、残る8機は未帰還でその消息は不明。(その内の2機は伊平屋島に突入したとされている。)終戦を知り乍ら、それでも特攻隊として飛び立って行った23人の者達・・・。
「可哀想になぁ。十八でなぁ。」炬燵で横になり軍歌をか細い声で口ずさんでいた祖父が、歌い終えた際に誰に言うとも無く呟いた言葉。当時中学生だった吉田紗知さんにはこの言葉が何を意味したものなのか判らなかったが、25歳の時に祖父が亡くなった際、「(祖父の)戦死した弟の事を思い浮かべていたのだろう。」と気付いたという。祖父の亡き骸に触れ、「祖父ちゃんも、戦死した祖父ちゃんの三人の兄弟も、もう忘れ去られてします。戦争体験を語れる人はどんどん居なくなってしまう。何とかしなくては。今、私達が、戦争を生き抜いた先祖の事を語り継がないと。」と思い立った彼女は、祖父の”過去”を調べて行く過程で、”最後の特攻隊”として亡くなった者の中に自らの”肉親”が居た事を知る。彼女の曾祖父の弟、彼女の祖母からすると父親の弟で在り叔父に当たる人間。
彼女がこの肉親・大木正夫氏の事を調べ、”最後の特攻隊”に付いて纏め上げた本が「8月15日の特攻隊員」だ。肉親の事を扱っている為か全体的に情緒的な文体が目立ち、「もう少し抑えた文体ならば、もっと読ませる内容になったのではないかなあ。」と残念に感じたが、この本の中に登場する嘗ての特攻隊員達の証言は、戦後62年を越えた今でも心に残る物が少なからず在った。
昨日の試合、確かにタイガース先発の安藤優也投手の出来は良かった。昨日の試合”だけ”を見れば、ジャイアンツの負けは致し方なかったと言えるだろう。だがノムさんが良く口にする「勝ちに不思議な勝ち在り、負けに不思議な負け無し。」を「その通り。」と思っている自分からすれば、「連敗に偶然の連敗無し、必然の連敗在るのみ。」という確信めいた思いが在る。一つ一つの試合に勝負のターニング・ポイントが在る様に、公式戦の流れの中でも間違い無くターニング・ポイントが在る。そのターニング・ポイントで然る可き手をきちんと打った指揮官のチームは、仮に選手がその策に応えられなくて負けを喫したとしても連敗街道を突き進む事は先ず無く、逆のチームは連敗街道を突き進むというのが勝負の世界。一昨日の試合、即ち対タイガース3連戦の初戦は展開を考えればジャイアンツが是が非でも勝ちに行かなければならない試合だったし、タイガース・ファンの方々にとっては申し訳無いのだが”普通の采配”をしていればジャイアンツが勝てた試合だったと思っている。過去に何度も「急に崩れる”癖”」を見せていたパウエル投手を無意味に引っ張り続けたり、然る可き場面で然る可き手を打たなかったりと、原監督の学習能力&勝負勘の無さ、そしてそれに基づく雑な攻めが勝負の流れをジャイアンツからタイガースに一気に向かわせたというのが正しいだろう。
実は昨日、試合後の原監督がどういったコメントを出すか注目していた。首位陥落に付いてどう思うかなんていうのはどうでも良く、”勝負師”として一昨日の試合で自らが流れを変えてしまった事を認める”勇気”が在るかどうかがポイントで、もしそれを口に出来るならば(落合監督の凄さは、こういった事を口に出来る勇気にも在ると思っている。)ジャイアンツは再浮上の目が未だ残っていると踏んでいた。しかし予想通りと言う可きか、彼の口から発せられたのは「先発の久保は初回のホームランを打たれた後、良いピッチングでゲームを作った。明日からも全力で戦って行きます。」という、安倍首相の如き空虚で中身の無い鸚鵡返しのコメントのみ。残念乍ら原監督には勝負師として必要な勝負勘、ターニング・ポイントを見極める能力が著しく欠如しているという事なのだろう。今日の試合、恐らくジャイアンツは負けるだろう。負けは3連敗に留まらず、泥沼の敗戦街道を進む可能性も低くないと思っている。この予感が外れてくれる事を望むが・・・。
閑話休題。1945年(昭和20年)8月15日正午、所謂”玉音放送”によって日本の敗戦が国民に伝えられた。そして同日の夕刻、宇垣纏・第5航空艦隊司令長官率いる総計23名が艦上爆撃機・彗星計11機に搭乗、”最後の特攻隊”として沖縄の地に飛び立ち、内3機は不時着した為に5名が生還を果たすも、残る8機は未帰還でその消息は不明。(その内の2機は伊平屋島に突入したとされている。)終戦を知り乍ら、それでも特攻隊として飛び立って行った23人の者達・・・。
「可哀想になぁ。十八でなぁ。」炬燵で横になり軍歌をか細い声で口ずさんでいた祖父が、歌い終えた際に誰に言うとも無く呟いた言葉。当時中学生だった吉田紗知さんにはこの言葉が何を意味したものなのか判らなかったが、25歳の時に祖父が亡くなった際、「(祖父の)戦死した弟の事を思い浮かべていたのだろう。」と気付いたという。祖父の亡き骸に触れ、「祖父ちゃんも、戦死した祖父ちゃんの三人の兄弟も、もう忘れ去られてします。戦争体験を語れる人はどんどん居なくなってしまう。何とかしなくては。今、私達が、戦争を生き抜いた先祖の事を語り継がないと。」と思い立った彼女は、祖父の”過去”を調べて行く過程で、”最後の特攻隊”として亡くなった者の中に自らの”肉親”が居た事を知る。彼女の曾祖父の弟、彼女の祖母からすると父親の弟で在り叔父に当たる人間。
彼女がこの肉親・大木正夫氏の事を調べ、”最後の特攻隊”に付いて纏め上げた本が「8月15日の特攻隊員」だ。肉親の事を扱っている為か全体的に情緒的な文体が目立ち、「もう少し抑えた文体ならば、もっと読ませる内容になったのではないかなあ。」と残念に感じたが、この本の中に登場する嘗ての特攻隊員達の証言は、戦後62年を越えた今でも心に残る物が少なからず在った。