*****************************************************************
「新庄監督の『顔見て吃驚・・・。』マスク外して騒然『別人に。』、『又、変わってるw。』、『イケメン。』最新の顔面」(1月11日、スポーツ報知)
日本ハムの新庄剛志監督が10日のフジテレビ系「酒のツマミになる話」(金曜・午後9時58分)に出演。最新ヴィジュアルにネットは騒然と成った。
収録スタート早々、新庄監督は整形の話題を持ち出し、収録日の5日後に整形手術を行う事を告白。鼻を高くし過ぎてしまった為、3mm程低くすると明かした。又、タブレットの見過ぎで首の皺も気に成るといい、其処も改善すると言う。顔をアップデートし続ける新庄監督は、「俺も原型判らないもん。」と笑った。
試合中等はマスクを着用する事が多く、ネットは「マスクしてない新庄監督の顔、久々見た。記憶の中の新庄剛志と別人みたい。」と仰天。「又、顔変わってるw。」、「もう元の顔が判んない。」、「顔見て吃驚・・・別人に見える。」、「元々イケメンやけど。」、「吃驚した。」と二度見した。
*****************************************************************
自分は整形手術自体に強い抵抗感が在るし、自分が整形手術をしたいとは全く思わない。でも、他者が整形手術をする事に付いては、「他人様に迷惑を掛ける事無く、又、他人に対して整形手術を強いる事が無い。」ので在れば、全くの自由だと思っている。「自分の見た目に強いコンプレックスを持ち、其の事で社会的に生き辛さを感じている。」ならば、整形手術によって"生まれ変わる道"を選択するのは「在り。」だろう。
タイガースの選手時代、新庄氏はイケメンの部類に入っていた。だが、当時の顔は、今と大分違っている。明らかに異なっているのは「張っていた鰓が無くなった(判り辛く成った)。」、「鼻筋が通った。」、「目の形が変わった。」等だろう。本人としてはそういった部分にコンプレックスを持っていて、整形手術に踏み切った訳だ。(個人的には「タイガース時代の方がイケメンなのになあ・・・・。」と思うが。)
****************************************************************
整形依存症:"整形手術の出来栄え"に常に満足する事が出来ず、何度も何度も整形手術を繰り返してしまう状態。
****************************************************************
もう大昔の話に成ってしまうが、経理関係を担当していた叔母が「芸能事務所から回って来る領収書には、整形手術の費用と思われる物が結構在った。」と話していた。実際、整形手術をしたと噂される芸能人は少なく無く、「デビューの頃の顔とは、全くの別人。」と思ってしまう人も。
「事故等によって大きな損傷を受け、止むを得ずに整形手術に踏み切った。」というケースも在る様だが、中には某女性歌手の様に整形依存症としか思えない様な人も。彼女は鬼籍に入っているが、晩年は顔面が硬直し、「全くの無表情。」と言って良い感じで、申し訳無いが怖かったし、同時に「こう成ってしまうと、もう病気なんだろうな。」と気の毒にも感じた。(没後、彼女を知る人が「晩年の彼女は、自宅に鏡を一切置いていなかった。自分の"今の顔"を見る事が嫌だったのだろう。」と語っていた。)
「整形手術を繰り返した挙句、精神を病んでしまい、自ら命を絶ってしまった。」という人の話も、過去に少なからず見聞した。「自分の人生を良くし様。」という事で整形手術に踏み切った筈なのに、結果として整形手術が自分を追い詰めてしまったのだとしたら、もう悲劇としか言い様が無い。
新庄監督が整形依存症なのかどうかは何とも言えないが、其の気質は在りそうな気がしている。上記した様に、「整形手術をするのは、個人の自由。」と考えているけれど、「何事も度が過ぎてしまうと、良い結果に成らない事が多い。」ので、顔のアップデートも"終了"させたほうが良いのではないか?
わたしもgiants-55さんに近い考えです。
生まれつき(客観的に)醜悪とか欠損がある場合なら止む負えないとは思いますが、自分の(主観的な)美醜の判断で美容整形を繰り返すことには違和感というか嫌悪感を持っています。
そりゃあ男女とも美しい方がいいとは思いますけどね。
しかし、その美醜の価値観も時代や地域で違いがあることだし。
日本に限っても平安時代はおたふく顔が美人で、江戸時代は糸を引いたような細い目が美人画の定番だったわけで。
つい昨日の事、テレビでアンドロイド技術のニュースがあって、家族で話していたんですが、各種サービスの受付業務や案内業務にアンドロイドが多用されるようになると、いわゆる人工美人のアンドロイドにあこがれる人が出てきて、
「〇〇のアンドロイド顔に整形してほしい」なんて要望が出てきたりして」と私が言ったら、すかさず娘から「3Dのアニメ顔に憧れて整形をする人がすでにいるらしい」との事。
こういう時代になってくると、個人的には違和感や嫌悪感があっても、最終的には「ご勝手に、お好きにどうぞ」と言わざるをえないですね(苦笑)。
ちなみに以前読んだ記事によると、顔の造りが左右対称に近いほど美人顔になるそうです。
御嬢様が話された"アニメ顔"ですが、実際にそういう風に整形手術をされた女性の画像を見た事が在ります。不自然な程に目が大きく、申し訳無いけれど不気味さを感じてしまいました。
「不自然な程に目が大きい。」といえば、プリクラに備わっている"加工技術"の1つに、矢張り「不自然な程に目を大きくする。」というのが在りますね。何時の頃からか、そういう加工をした若い子のプリクラ写真を多く目にする様に成りましたが、ああいうのが良いと感じるのは、世代の違いなのでしょうか。
「左右対称に近い程、美人顔と見做される。」というのは、自分も読んだ事が在ります。要は「完璧な程、人は美しさを感じる。」という事なのでしょうね。個人的には「不完全な方が美しい。」と思うのだけれど・・・。