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裕福な家に嫁いだ千代(ちよ)と、其の家の女中頭の初衣(はつえ)。「家」から、そして「普通」から逸れても、其れ其れの道を行く。
「千代。御前、山田(やまだ)の茂一郎(もいちろう)君の所へ行くんで良いね。」。親が定めた縁談で、製缶工場を営む山田家に嫁ぐ事になった19歳の千代。実家よりも裕福な山田家には女中が2人居り、若奥様という立場に。夫とは今一つ上手く関係を築けない千代だったが、元芸者の女中頭・初衣との間には、仲間の様な師弟の様な絆が芽生える。
軈て戦火によって、離れ離れになった2人だったが、不思議な縁で、再び巡り会う事に・・・。
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嶋津輝さんの小説「襷がけの二人」は、千代と初衣という2人の女性を通して、「大正15年(1926年)から昭和25年(1950年)」という時代を描いている。1926年と言えば、「関東大震災(1923年)」発生から3年後。以降、日本は「満州事変」、「日中戦争」、「仏印進駐」、そして「第二次世界大戦」と、次々に大きな戦争に突入して行く。1950年は未だ“敗戦の影”が色濃く残っている時代で、「襷がけの二人」は“激動の時代”を舞台にしている訳だ。
一昨日、芥川賞と直木賞の受賞作が其れ其れ発表されたが、「両賞の候補作が明らかにされると、自分は受賞作を予想するのが常。」となっている。全ての候補作を読んだ上での予想では無く、「作品の粗筋」及び「著者のプロフィール」を確認し、「現在の選考委員の顔触れからすると、粗筋を読む限り、彼等だったらこういう作品を高く評価しそう。」とか、「賞に“花を添える”意味でも、こういうプロフィールの著者の作品が選ばれるんじゃないかな。」といった観点“のみ”から、飽く迄も“直感”で予想するのだ。そんな感じの予想なので“外す事”が少なく無いのだけれど、今回の直木賞で言えば、「襷がけの二人」を受賞作品に予想していた。
「裕福な家に嫁いだ千代と、其の家で女中頭として働く初衣。」との関係性は、其の時点で「主人と女中」という事で、立場的には千代の方が断然上。とは言え、2人の関係性は非常に良く、或る意味“同志的な関係”と言っても良いだろう。「共に“女性として複雑な立場”に在る。」という事が、彼女達をそういう関係性に導いたとも言え、もう1人の女中を加えた“3人の女性達”の関係性には、ほっこりとさせられる物が在る。
そんな千代と初衣の立場は、第二次世界大戦を機に大きく変化。“家”を失った千代が、初衣の家で女中として働く事になったからだ。と言っても、「初衣は“或る事情”から、千代が嘗ての主人で在る事を知らない様だ。」という状況が在り、又、千代が嘗てそうで在った様に、初衣も「自分が主人だからという事で、女中に対して居丈高な態度に出る事は全く無く、寧ろ温かく接してくれる。」ので、2人の関係性は頗る良い。
「激動の時代を生きた、曰く付きの2人の女性の半生。」なのだが、何処か仄々とした感じが在り、読んでいて心地良い。
唯、途中から「女性器の俗語や生々しい描写(“びらびら”がどうのこうのとか。)、『花電車』(女性器を用いたパフォーマンス)といった記述が繰り返される。」に到っては、「一寸“エロ小説”のテーストが入って来たなあ。」と感じさせられ、「敢えてこういう記述を取り入れる必要性が在ったのか?」と疑問に。2人の女性を“曰く付き”にする為に取り入れた設定だろうが、もっと別の形が在った様に思う。エロの要素は嫌いじゃ無い自分だけれど、此の作品に関して言えば、そういう設定が取り入れられた事で、「“心地良い世界観”が、少し崩れてしまった。」と、少し残念だったから。
で、直木賞受賞作発表前に「襷がけの二人」を読み終えたのだが、「受賞は難しいかも。」という思いになった。其れは、「余り意味が感じられないエロ要素。」が原因。結果的に直木賞受賞には到らなかったので「矢張りなあ。」と。
でも、選考の内幕を読むと、「襷がけの二人」の評価は結構高かった様だ。直木賞受賞作として1作品が決まった後、残る2作品で“決選投票”となり、其の2作品の1つが「襷がけの二人」だったとか。「余り意味が感じられないエロ要素。」が無かったら、結果はどうなっていたのだろうか?
総合評価は、星3.5個とする。