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「知事『高齢者移住策に違和感』 日本創成会議の提言に対し」(6月13日、読売新聞)
山口知事は12日の定例記者会見で、民間の有識者会議「日本創成会議」が、必要な介護を受けられない「介護難民」の増加から、受け入れ可能な地方への移住を提言した事に付いて、「非常に違和感が在る。」等と疑問を呈した。
提言では、医療・介護施設のベッド数に余裕が在り、態勢的に受け入れ可能な地域として、県内では「鳥栖」(鳥栖市、基山町、上峰町、みやき町)が地域に挙げられた。
山口知事は「全国で地方移住というテーマが盛り上がっているのに、高齢者だけの話になっている。『地方に押し付ける。』と言えば言い方が強過ぎるが、そういうニュアンスで御年寄りが思われれば不幸だ。」と批判。
財源負担に付いても言及し、「高齢者移住となると、介護施設はどうなるのか。佐賀県は子供から高齢者迄を対象にした施設を準備する為に国と折衝しているが、高齢者に限っての話は議論しない方が良い。」と指摘した。
一方、国営諫早湾干拓事業(長崎県)の開門調査を巡っては、漁業者等に制裁金を支払う義務が国に生じてから12日で1年となった事に関し、山口知事は「(国に開門を命じた福岡高裁の)確定判決を履行し、開門調査が実施される様、訴えて行きたい。」と述べた。
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地域活性化の観点からも、「其の地域の状況に在った“特徴”を打ち出して行き、其れに“特化”させて行く。」という考え方は、決して悪くは無い。だから、「医療・介護施設のベッド数に余裕が在り、態勢的に受け入れ可能な地域。」という事で、介護難民となっている高齢者を、其処に受け入れる態勢作りをするというのも、案としては在りだ。
然し、問題なのは山口知事が指摘している様に、此の“移住”の提言が「高齢者だけの話になっている。」事や、「高齢者を、『地方に押し付ける。』というニュアンスで捉えられそう。」な点だろう。
都心の高齢者が多い団地では、近くの大学に通う生徒達に格安の家賃で住居を提供する代わりに、高齢者には負担が大きい地域の自治活動を生徒達に代行して貰ったり、高齢者と触れ合いの場を設けて貰ったりして、地域の活性化に繋げている所も在ると聞く。地方と都心とでは状況が異なるので、必ずしも同様の事が可能な訳では無いだろうけれど、今回の提言も“高齢者だけの話”では無く、“他の世代”も考慮した前向きな物でなければ、多くの理解は得られないだろう。
「都心では、受け入れ先が無いから。」とか「都心に、そういう施設を作って欲しく無いから。」という理由で、地方に介護難民を押し付けるという事“ならば”、「沖縄基地問題」と同根の考え方。
「俺達若者の仕事が無いのは、移民の所為だ!」と、世界各地で移民排斥運動が起こっている。「仮想敵を作り出し、其れを叩く事で、鬱屈した思いを晴らす。」という嫌な風潮だが、我が国でも小泉政権下での郵政民営化問題以降、そういった仮想敵叩きが露骨になって来た。
近年で言えば、「俺達若者の生活が苦しいのは、高齢者が優遇されているからだ!」という仮想敵叩きが顕著で、政府もそんな風潮を“悪用”し、支持率アップに結び付けている節が在る。そんな世の中だからこそ、今回の提言も妙な方向に結び付けられてしまうと、結局は地方が“姥捨て山化”してしまう事だろう。
ベッド数など施設に受け入れの余裕がある、と言う短絡的な発想なら素人でも出来る。
介護従事者の待遇を改善し、若い労働力も引き連れて移住できる体制作りをしなければ、絵に描いた餅に終わるでしょう。
地方は物価は安いけれど賃金も安い、都会は物価は高いけれど賃金も高い、そんな「名目賃金」を前提にすれば、同じトントンならば何かと便利な都会のほうが暮らしやすい、となるのは人情。
地方は不便かもしれないけれど給料は高いよ、てな逆転の発想は出来ないものだろうか。
日本創成会議の此の提言を見聞し、“姥捨て山”を思い浮かべた人は結構居たでしょうね。“此の世の楽園”で在るかの様にマスメディアが喧伝し、我々の先人達が少なからず海外に移住したけれど、待っていたのは“此の世の楽園”どころか、“此の世の地獄”と思ってしまう様な現実だった・・・なんて過去が在りました。メリット(其れも、本当に存在するのかどうかも判らない物も含め。)許りを喧伝し、デメリットは敢えて触れなかったりするというのでは、詐欺商法と何等変わらない。
“商品券”の散蒔き等で目先の消費増大を図り、一時的な景気浮揚擬きを演出する等、我が国の政府は抜本的な問題解決をする事無く、目先の誤魔化しに終始して来た。其の結果、少子高齢化や格差拡大等の問題が抜き差しならない状態になっている。
「面倒な事は地方に押し付け、適当に金を散蒔く事で地方の不満は押さえ付ければ良い。」という政治家の発想では、問題は何等解決しない。