1950年代は「水原茂(円裕)監督[3塁手]と三原脩監督[2塁手]が競い合っていた時代」と言え、それ故に3塁手と2塁手のポジションで8割を占める結果となった。
1960年代は1965年から始まったV9も在り、「川上哲治監督の時代」、即ち1塁手で70%を占めた。
1970年代はV9の後半という事も在り1塁手が40%で首位をキープしたものの、「1975年からブレーブスを3連覇させた上田利治監督[捕手]」、「1978年にスワローズを初優勝させた広岡達朗監督[遊撃手]と、1979年にカープを初優勝(リーグ優勝としては二度目。)させた古葉竹識監督[遊撃手]」の登場から、捕手(30%)&遊撃手(20%)の健闘が光る。
1980年代は、何と言っても「ライオンズ黄金期」。前半を広岡監督、後半は森祇晶監督[捕手]が率いたが、1980年&1984年にカープを優勝させた古葉竹識監督と、1985年にタイガースを初優勝に導いた吉田義男監督が共に現役時代は遊撃手を務めていた事から、遊撃手が50%で初の首位となった。
1990年代は、「捕手出身監督の時代」と言えるだろう。ライオンズを率いた森祇晶監督と、ID野球でスワローズの黄金期を築き上げた野村克也監督[捕手]が大健闘し、捕手で60%を占める結果となった。
2000年代は、「混沌とした時代」とでも言えようか。この7年間で日本一になったのはジャイアンツの二度以外、残りは全て異なるチームとなっている。又、外野手出身の監督が初めて日本一になり、外野手と3塁手が各々20%を占めて首位になったものの、投手&2塁手以外のポジション出身の監督が各々1人ずつ優勝する等、こちらでも混沌とした状態だ。
そして、総合結果は以下の様になった。
*****************************
[1950年~2006年]
投手 5人(9%)
捕手 14人(24%)
1塁手 13人(23%)
2塁手 5人(9%)
3塁手 10人(18%)
遊撃手 8人(14%)
外野手 2人(3%)
*****************************
「全体の24%を占めた捕手が、名将と呼ばれる(た)監督の現役時代のポジションとして最も多かった。」という結果に。「捕手出身監督=名将」というイメージは、「上田利治監督に始まり、森祇晶監督で定着、そして野村克也監督で確定した。」と言えるのではないか。
又、「守備時に於いて、外野手は内野手よりも概してグラウンド全体への目配り&気配りに欠ける。だから、外野手出身監督は成功しない。」といった説も在るが、確かに2000年迄は外野手出身の監督は日本一を達成出来ていない。でも2001年にスワローズを優勝させた若松勉監督、そして今年ファイターズを42年ぶりの優勝に導いたトレイ・ヒルマン監督が共に外野手出身で在る事からも、この説も今や過去のものとなった様だ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/up.gif)
*1 我がジャイアンツの話も少し触れておきたい。一言居士の”広岡御大”が、先にまとまった「谷佳知選手と鴨志田貴司投手&長田昌浩選手のトレードに噛み付いてくれた。詳細はこちらに載っているが、「このトレードで損をしたのはジャイアンツ。谷選手が右肘に爆弾を抱えているのも然る事乍ら、素晴らしい素材の若手選手を失った事が何と言っても痛い。理由はどう在れ、彼等の才能を開花させられなかったコーチの責任は大きい。」と。
「良くぞ言ってくれました!」と拍手を送りたい。出身チームに阿る事無く、己が正しいと思った事は歯に衣を着せず直言してくれるOBは本当に在り難い。特に今のジャイアンツに在っては、必要不可欠な存在と言える。
宮崎で現在行われている秋季キャンプにはこの広岡御大と共に、やはり一言居士のOB西本聖氏が臨時コーチとして参加されている(写真)。己がアピールの為だけに臨時コーチ”もどき”をするOBも少なくないが、この両名に関しては心からのジャイアンツ愛を感じる。選手のみならず首脳陣も、彼等から何かを学び取って貰いたいものだ。
1960年代は1965年から始まったV9も在り、「川上哲治監督の時代」、即ち1塁手で70%を占めた。
1970年代はV9の後半という事も在り1塁手が40%で首位をキープしたものの、「1975年からブレーブスを3連覇させた上田利治監督[捕手]」、「1978年にスワローズを初優勝させた広岡達朗監督[遊撃手]と、1979年にカープを初優勝(リーグ優勝としては二度目。)させた古葉竹識監督[遊撃手]」の登場から、捕手(30%)&遊撃手(20%)の健闘が光る。
1980年代は、何と言っても「ライオンズ黄金期」。前半を広岡監督、後半は森祇晶監督[捕手]が率いたが、1980年&1984年にカープを優勝させた古葉竹識監督と、1985年にタイガースを初優勝に導いた吉田義男監督が共に現役時代は遊撃手を務めていた事から、遊撃手が50%で初の首位となった。
1990年代は、「捕手出身監督の時代」と言えるだろう。ライオンズを率いた森祇晶監督と、ID野球でスワローズの黄金期を築き上げた野村克也監督[捕手]が大健闘し、捕手で60%を占める結果となった。
2000年代は、「混沌とした時代」とでも言えようか。この7年間で日本一になったのはジャイアンツの二度以外、残りは全て異なるチームとなっている。又、外野手出身の監督が初めて日本一になり、外野手と3塁手が各々20%を占めて首位になったものの、投手&2塁手以外のポジション出身の監督が各々1人ずつ優勝する等、こちらでも混沌とした状態だ。
そして、総合結果は以下の様になった。
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[1950年~2006年]
投手 5人(9%)
捕手 14人(24%)
1塁手 13人(23%)
2塁手 5人(9%)
3塁手 10人(18%)
遊撃手 8人(14%)
外野手 2人(3%)
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「全体の24%を占めた捕手が、名将と呼ばれる(た)監督の現役時代のポジションとして最も多かった。」という結果に。「捕手出身監督=名将」というイメージは、「上田利治監督に始まり、森祇晶監督で定着、そして野村克也監督で確定した。」と言えるのではないか。
又、「守備時に於いて、外野手は内野手よりも概してグラウンド全体への目配り&気配りに欠ける。だから、外野手出身監督は成功しない。」といった説も在るが、確かに2000年迄は外野手出身の監督は日本一を達成出来ていない。でも2001年にスワローズを優勝させた若松勉監督、そして今年ファイターズを42年ぶりの優勝に導いたトレイ・ヒルマン監督が共に外野手出身で在る事からも、この説も今や過去のものとなった様だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/up.gif)
*1 我がジャイアンツの話も少し触れておきたい。一言居士の”広岡御大”が、先にまとまった「谷佳知選手と鴨志田貴司投手&長田昌浩選手のトレードに噛み付いてくれた。詳細はこちらに載っているが、「このトレードで損をしたのはジャイアンツ。谷選手が右肘に爆弾を抱えているのも然る事乍ら、素晴らしい素材の若手選手を失った事が何と言っても痛い。理由はどう在れ、彼等の才能を開花させられなかったコーチの責任は大きい。」と。
「良くぞ言ってくれました!」と拍手を送りたい。出身チームに阿る事無く、己が正しいと思った事は歯に衣を着せず直言してくれるOBは本当に在り難い。特に今のジャイアンツに在っては、必要不可欠な存在と言える。
宮崎で現在行われている秋季キャンプにはこの広岡御大と共に、やはり一言居士のOB西本聖氏が臨時コーチとして参加されている(写真)。己がアピールの為だけに臨時コーチ”もどき”をするOBも少なくないが、この両名に関しては心からのジャイアンツ愛を感じる。選手のみならず首脳陣も、彼等から何かを学び取って貰いたいものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/usagi.gif)
阪急・(オリックス) 上田監督
ヤクルト・西武 広岡監督
広島・(大洋) 古葉監督
中日・(大洋)・(日本ハム) 近藤監督
西武・横浜 森監督
南海・ヤクルト・(阪神)・(楽天)野村監督
近鉄・オリックス 仰木監督
こんな感じです。
()内のチームは優勝していないチームです。
決して名将ではないけど、関根監督や土橋監督は、忘れられない監督ですね。
あと、南海・ダイエーで監督を務めた杉浦監督。
あの弱い南海を4位に導いた時は、ビックリしましたね。
今の楽天が4位になるようなものといったら、いまの若い人達の凄さをわかっていただけるものと思います。
ジャイアンツのこのトレード。
なんなんでしょう。
FAもしかり。
何考えてんだ。
もういいじゃないですか。
よそから選手集めるのは。
自前でいいですよ。
優勝しなくても、
これからの活躍を期待して応援するわけですから。
どうにかなりませんかね、読売。
西本聖さん、広岡さん
ビシッといってやってほしいです。
そろそろ
ジャイアンツファンを卒業しようかと
マジで考えている今日ころごろでした。
ひねくれ者の私としては、大毎オリオンズ、阪急ブレーブス、近鉄バッファローズで都合8度のリーグ優勝を果たしながら、なぜか日本一になれなかった西本幸雄さんを名将に上げたいと思います。
阪急時代はV9のジャイアンツ、近鉄時代は赤ヘルの全盛期という波にぶつかったのも不運だったと思います。学生時代「江夏の21球」を手に汗握ってテレビで見ていました。
結果論かもしれませんが、悲運の名将だからこそああいったドラマを演出できたのかもしれません。
ちなみに西本さんは現役時代一塁手だったそうですね。またご存命とのことで、一時代と築いた野球界の重鎮が少なくなる中でますます貴重な存在であると思います。
先日の「報道ステーション」で、今や伝説となった
「地獄の伊東キャンプ」が取り上げられていました。ジョンソン選手やライト選手といった外国人選手、そして張本選手といった他チームの主力選手を獲得して行った長嶋第一次政権でしたが、少なくとも自前の選手を何とかして育て上げようという意欲がこの頃には在ったと思います。(第二次政権下で監督としての晩節を汚してしまいましたが(苦笑)。)
西本投手や中畑選手、篠塚選手といった未だ海のものとも山のものとも判らない若手選手達を、自ら泥だらけになって鍛え上げて行った若き指揮官の姿に、今のジャイアンツに無い何かを感じてしまいました。
一番胸を打たれたのは、やはり松本選手の”涙汗”の話(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/a773bcd9503673c422555f26b74838cb)。今のジャイアンツの若手達もそれなりに努力はしているのでしょうが、限界を突き抜けた更なる先に迄自らを投じている者が居ない気がします。これは時代が違うからとか、練習が効率良く行われる様になったからといった理由だけでは片付けられない”心”の部分なのかもしれませんが・・・。
わたしにとっても「868」は思い入れのある数字なので、giants-55さんの「感慨深い」お気持ち、少しわかるつもりです。
でも私の場合は今まで何かで868を追い抜こうとは考えたことがなかったです。ただ敬愛するだけ・・・。
名将についてですがポジションに関係なく私の印象であげてみました。
藤田さん 私にとって名将といえば、まず藤田さんです。「やって見せ、やらせてみせて、褒めてやる」を体現されていたと思います。
王監督 実は巨人時代は名将とは思っていませんでした・・・。福岡に行かれて数年してから思うようになりました。
広岡さん 西武の試合をそんなにたくさん観たわけではないので、海老沢泰久さんの小説「監督」の影響もあるかもしれません。時折耳にする発言に強く暖かい巨人への愛情を感じます。一度巨人の監督を務めて欲しかった。(まだ可能性は0ではありませんが・・・)
番外で原監督 ただし期間限定で、第一次政権の一年目のみ。
こちらへ書き込みさせていただくH.Nを変更させて頂く事にしました。Sango-Qは清水選手への応援も込めた愛着あるものだったのですが、自分のブログを始めたので揃えることにしました。
宜しくお願い致します。
Sango-Qは「真の名」ということで・・・