2010.11.24(水)
かねてより一度訪ねてみたかった岡山県の備中高梁市(旧、成羽町)の
ベンガラの里・吹屋ふるさと村に行ってきました
なにげなく友人の実家のある高梁市のHPを見ていたら
吹屋の街並みが目にとまり、居ても立ってもいられなくなりパンフレットを手に入れて
友人に話したら、実家の近くだから仕事が一段落したら里帰りを兼ねて一緒にどうぞ
と言われて1年が過ぎていた
友人はその後、お父様を亡くし息子さんが結婚し仕事はますます忙しくなり、それどころでは
ない状況になった
ある日、奈交の日帰りツアーにそれを見つけて直ぐ申し込みした
友人にも連絡しておいた
出発の前日に忘れずに友人から電話があり一緒に行けなくてと残念そうだった
別に他のツアー会社でも組まれていたのだけれども何故か日程が合うのが奈交だった
そんなこんなでまたまた学園前からバスに乗る羽目に、、、、、
こともあろうか第二阪奈道路から近畿自動車道に入り中国自動車道を経て伊丹空港で
大和八木からのバスと合流した
先に判っていたらこちらに来て待ってたのに
帰りも空港に寄るのかと確認すると残念でした帰りは東大阪のSAまで行くそうな
一台に乗り合わせてまた中国自動車道を岡山の新見ICまで走り一般道へと下りました
ふるさと村に着いたらもうお昼になってましたね
早速、保存地区の散策に出掛けます
そのまま撮影に使えるほどしっかりと景観は保存されてこの中で民芸品や地産品を販売されています
この夏、千里中央のイベントで暑い中一生懸命に舞ってくれた子供たちが思い出されます
古い神楽絵が記念館の天井に飾ってありました
裸の大将のロケもあったんですとよ
酒屋さんも、お土産屋さんも素朴です
ベンガラの暖簾が風合いを醸し出しています
標高550mほどの山嶺に江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山があり
江戸後期からベンガラという特産品の生産が重なり幕末から明治にかけて「ベンガラの町」
として全国に知られたそうです
〒郵便局
現在の郵便局は景観の邪魔にならないようにこの旧館の端に少し通りから奥まり溶け込んでいました
旧片山家住宅
平成18年に国の重要文化財に指定
中は有料で拝見できます
宝暦9年(1761)創業以来200年余りにわたって吹屋弁柄の製造・販売を手がけた老舗
弁柄(ベンガラ)の製造の順
緑礬(ろうは)を原料としてあの独特の色合いのベンガラとなって各地へと運ばれたのですね
海鼠壁の美しい倉
昭和46年にその使命を終えて今はこの他の豪商や老舗も指定を受けて保存されています
その代表はこのふるさと村から少し離れたところにある庄屋、広兼邸でしょう
かつて映画「八つ墓村」のロケで有名になりましたね
今回は足を伸ばすことが出来ませんでしたので次回にはゆっくりと友人と周りたいと思います
藤森食堂さんで山菜うどんをいただきました
岩崎 弥太郎が三菱マーク入りの玉垣を寄贈した山神社も行き損ねました
仕方ないのでちょっと山道を少し登って
日本で最古の木造校舎の吹屋小学校に走りましょう
明治33年から42年にかけて建築されたものでほぼ一世紀をこどもたちと
生きてきたのですね
観光目的での校内への立ち入りはご遠慮願います
子供たちは授業中でしたが
子供たちの撮影も禁止です
こちらの建物はラ・フォーレ吹屋(中学校跡)
レストランや宿泊施設になっているようです
まだまだ時間は足りません
2時間はあっという間に過ぎて名残を惜しみながらバスに戻ります
そして二ケ所目の観光地、井倉洞へと到着です
ここは全く知りませんでしたが、鍾乳洞なんですね
生きている地球を実感、、、草間カルスト大地が育んだ春夏秋冬。四季折々の渓谷美
とパンフレットにうたわれてますよ
全長1,200m
高低差90m
探勝時間40分
年間平均気温15℃~16℃(洞内)
あの屋根のところから中へ入って行きましょう
高梁川 井倉洞の中を50m落ちて
横穴からさらに90m流れ落ちる滝
160cm以上の方はぐっとかがまないと通れないところやメタボなワタシは横にになって思い切り
お腹を引っ込めてやっと通過できたところなど
鉄の急階段を登って最高点まで行ってずっと水音を聞きながら探索です
くらげ岩
下から見上げた50mの滝口
上から見下ろした滝口
鬼の手袋
だるま大師
洞窟の中の瀬戸の海
見返りの池
音の滝
数え切れないほどの名勝が続きました
写真に出来たのはほんの数枚
出口を出て目にした紅葉、夕陽を浴びて素敵ね
高梁川の流れ
かつては高瀬舟が通っていたのですね
このあたりは上質の石灰岩が取れて今でも全国に運ばれています
そうそう、この近くに満喜洞という鍾乳洞があってそちらも「八つ墓村」の舞台になったそうですよ
今日は歩きではなかったけれど自然をたっぷり味わいちょっとタイムスリップした
まったりな一日でした
でも、最後は奈良の学園前からトボトボと帰ったのでした
かねてより一度訪ねてみたかった岡山県の備中高梁市(旧、成羽町)の
ベンガラの里・吹屋ふるさと村に行ってきました
なにげなく友人の実家のある高梁市のHPを見ていたら
吹屋の街並みが目にとまり、居ても立ってもいられなくなりパンフレットを手に入れて
友人に話したら、実家の近くだから仕事が一段落したら里帰りを兼ねて一緒にどうぞ
と言われて1年が過ぎていた
友人はその後、お父様を亡くし息子さんが結婚し仕事はますます忙しくなり、それどころでは
ない状況になった
ある日、奈交の日帰りツアーにそれを見つけて直ぐ申し込みした
友人にも連絡しておいた
出発の前日に忘れずに友人から電話があり一緒に行けなくてと残念そうだった
別に他のツアー会社でも組まれていたのだけれども何故か日程が合うのが奈交だった
そんなこんなでまたまた学園前からバスに乗る羽目に、、、、、
こともあろうか第二阪奈道路から近畿自動車道に入り中国自動車道を経て伊丹空港で
大和八木からのバスと合流した
先に判っていたらこちらに来て待ってたのに
帰りも空港に寄るのかと確認すると残念でした帰りは東大阪のSAまで行くそうな
一台に乗り合わせてまた中国自動車道を岡山の新見ICまで走り一般道へと下りました
ふるさと村に着いたらもうお昼になってましたね
早速、保存地区の散策に出掛けます
そのまま撮影に使えるほどしっかりと景観は保存されてこの中で民芸品や地産品を販売されています
この夏、千里中央のイベントで暑い中一生懸命に舞ってくれた子供たちが思い出されます
古い神楽絵が記念館の天井に飾ってありました
裸の大将のロケもあったんですとよ
酒屋さんも、お土産屋さんも素朴です
ベンガラの暖簾が風合いを醸し出しています
標高550mほどの山嶺に江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山があり
江戸後期からベンガラという特産品の生産が重なり幕末から明治にかけて「ベンガラの町」
として全国に知られたそうです
〒郵便局
現在の郵便局は景観の邪魔にならないようにこの旧館の端に少し通りから奥まり溶け込んでいました
旧片山家住宅
平成18年に国の重要文化財に指定
中は有料で拝見できます
宝暦9年(1761)創業以来200年余りにわたって吹屋弁柄の製造・販売を手がけた老舗
弁柄(ベンガラ)の製造の順
緑礬(ろうは)を原料としてあの独特の色合いのベンガラとなって各地へと運ばれたのですね
海鼠壁の美しい倉
昭和46年にその使命を終えて今はこの他の豪商や老舗も指定を受けて保存されています
その代表はこのふるさと村から少し離れたところにある庄屋、広兼邸でしょう
かつて映画「八つ墓村」のロケで有名になりましたね
今回は足を伸ばすことが出来ませんでしたので次回にはゆっくりと友人と周りたいと思います
藤森食堂さんで山菜うどんをいただきました
岩崎 弥太郎が三菱マーク入りの玉垣を寄贈した山神社も行き損ねました
仕方ないのでちょっと山道を少し登って
日本で最古の木造校舎の吹屋小学校に走りましょう
明治33年から42年にかけて建築されたものでほぼ一世紀をこどもたちと
生きてきたのですね
観光目的での校内への立ち入りはご遠慮願います
子供たちは授業中でしたが
子供たちの撮影も禁止です
こちらの建物はラ・フォーレ吹屋(中学校跡)
レストランや宿泊施設になっているようです
まだまだ時間は足りません
2時間はあっという間に過ぎて名残を惜しみながらバスに戻ります
そして二ケ所目の観光地、井倉洞へと到着です
ここは全く知りませんでしたが、鍾乳洞なんですね
生きている地球を実感、、、草間カルスト大地が育んだ春夏秋冬。四季折々の渓谷美
とパンフレットにうたわれてますよ
全長1,200m
高低差90m
探勝時間40分
年間平均気温15℃~16℃(洞内)
あの屋根のところから中へ入って行きましょう
高梁川 井倉洞の中を50m落ちて
横穴からさらに90m流れ落ちる滝
160cm以上の方はぐっとかがまないと通れないところやメタボなワタシは横にになって思い切り
お腹を引っ込めてやっと通過できたところなど
鉄の急階段を登って最高点まで行ってずっと水音を聞きながら探索です
くらげ岩
下から見上げた50mの滝口
上から見下ろした滝口
鬼の手袋
だるま大師
洞窟の中の瀬戸の海
見返りの池
音の滝
数え切れないほどの名勝が続きました
写真に出来たのはほんの数枚
出口を出て目にした紅葉、夕陽を浴びて素敵ね
高梁川の流れ
かつては高瀬舟が通っていたのですね
このあたりは上質の石灰岩が取れて今でも全国に運ばれています
そうそう、この近くに満喜洞という鍾乳洞があってそちらも「八つ墓村」の舞台になったそうですよ
今日は歩きではなかったけれど自然をたっぷり味わいちょっとタイムスリップした
まったりな一日でした
でも、最後は奈良の学園前からトボトボと帰ったのでした