新年明けましておめでとうございます。
在り来たりな文句で初めてしまうことに少し後ろめたさは感じるのだが、今年もよろしくお願いいたします。
さて、私のブログも含めて世に中には様々な意見があるのだが、一体どれが正しいのだろうか・・・・。
結論から言ってしまえば「どの意見も正しいが、間違ってもいる」としか言いようが無いのだが、「ふざけるんじゃない!」とお怒りになる方もいるとは思うのだが、冷静になって考えていただきたい。
世の中には様々な意見の対立が日常茶飯事のごとく起きているのだが、この意見の対立が起きる原因を考えてみた事があるだろうか?。
一つのわかりやすい例を書くなら、「売る側と買う側」を考えてみてほしい。
売る側は「少しでも高く売りたい」と考え、買う側は「少しでも安く買いたい」と、まったく正反対の考えを持っているので、「言う側にとっては正しい意見でも、相手側から見ると間違っている」と言うことになってしまうのである。
このことは「雇用主(企業)と労働者(通常、労使対立と言うが)」「税金を集める側(政府)と税金を納める側(国民や企業)」「教える側と教わる側」「男と女?」・・・・・と、世の中には正反対の考えを持つ人が無数にいるのである。
「正反対の考え方」は「水と油」と同じようなもので、仮の話し、上手く合意させることが出来たとしても、「永久に合意状態を保つ」と言うことは難しいことで、何かの弾みで「元の状態に戻る」と言うことは珍しいことではないだろう。
更に厄介なのは「三人よれば文殊の知恵」と言う一方で、「二人いれば意見の対立が起きる」と言うように、そのときの状況によっても違う答えが出てしまうから厄介なのではあるが、解決策がまったく無いわけではないのだが・・・・。
数少ない解決策の一つに「相手の話を良く聞く」と言うことがあるのだが、これは「言うは易し、行なうは難し」と言うほか無いであろう。
「相手の話を良く聞けば、相手もこちらの話を聞いてくれる」と言うことになるのだが、「何でも多数決で決めたがる」と言う傾向が強い日本人には難しい話ではあるが、「こちらが自己主張をすれば、相手も自己主張をする」と言うことになるのだから、発想を転換すれば問題は簡単に解決しそうなものなのだが、事はそう簡単に行かないから困るのである。
在り来たりな文句で初めてしまうことに少し後ろめたさは感じるのだが、今年もよろしくお願いいたします。
さて、私のブログも含めて世に中には様々な意見があるのだが、一体どれが正しいのだろうか・・・・。
結論から言ってしまえば「どの意見も正しいが、間違ってもいる」としか言いようが無いのだが、「ふざけるんじゃない!」とお怒りになる方もいるとは思うのだが、冷静になって考えていただきたい。
世の中には様々な意見の対立が日常茶飯事のごとく起きているのだが、この意見の対立が起きる原因を考えてみた事があるだろうか?。
一つのわかりやすい例を書くなら、「売る側と買う側」を考えてみてほしい。
売る側は「少しでも高く売りたい」と考え、買う側は「少しでも安く買いたい」と、まったく正反対の考えを持っているので、「言う側にとっては正しい意見でも、相手側から見ると間違っている」と言うことになってしまうのである。
このことは「雇用主(企業)と労働者(通常、労使対立と言うが)」「税金を集める側(政府)と税金を納める側(国民や企業)」「教える側と教わる側」「男と女?」・・・・・と、世の中には正反対の考えを持つ人が無数にいるのである。
「正反対の考え方」は「水と油」と同じようなもので、仮の話し、上手く合意させることが出来たとしても、「永久に合意状態を保つ」と言うことは難しいことで、何かの弾みで「元の状態に戻る」と言うことは珍しいことではないだろう。
更に厄介なのは「三人よれば文殊の知恵」と言う一方で、「二人いれば意見の対立が起きる」と言うように、そのときの状況によっても違う答えが出てしまうから厄介なのではあるが、解決策がまったく無いわけではないのだが・・・・。
数少ない解決策の一つに「相手の話を良く聞く」と言うことがあるのだが、これは「言うは易し、行なうは難し」と言うほか無いであろう。
「相手の話を良く聞けば、相手もこちらの話を聞いてくれる」と言うことになるのだが、「何でも多数決で決めたがる」と言う傾向が強い日本人には難しい話ではあるが、「こちらが自己主張をすれば、相手も自己主張をする」と言うことになるのだから、発想を転換すれば問題は簡単に解決しそうなものなのだが、事はそう簡単に行かないから困るのである。