日本語という固有名称を明らかにできない。すなわち、日本、そして語のことである、日本語をひのもと、やまと、というふうにするのは、語を語ると読む、訓を付けるに等しく、それは誰もが思うところ、その操作と日本語は密接なことである。
国の語、言葉という国語はキリシタン文献の読み解きに始まり、和語に置き換えて国語とする慣用を明治以降の国字問題として引き継ぎ、和字国字を国語とする経緯に国語は漢語をとらえて仮名 . . . 本文を読む
国語は教育科目であったから、読み書き算盤のうちにあるもの、それは初等、義務教育にあった作文である。中等教育になって外国語という科目が加わって、国語に対比する外国語すなわち英語に言語習得のことが加わった。異文化に理解を持つとか、コミュニケーションのためとか、結局は受験選抜の主たる学習科目であった。
国語が日本語であるというのは母語をそのように意識するかどうかであったから、日本語というものを国語とい . . . 本文を読む