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日本の一番、長い日

2016-08-14 | 映画を見ました
日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 タイトルの原題である。地上波、初放送を観賞した。映画作品化は二本目、製作配給は東宝、白黒、東宝スコープ、1967年、昭和42年に続く、いま観たのは、製作配給は松竹、戦後70年にあたる2015年8月8日公開のものを、民放による番組放映である。

>2枚の録音盤は1回目に録音された録音盤を「副盤」、2回目に録音された録音盤を「正盤」として皇后宮職事務室から運び出され、正盤は放送会館へ副盤は第一生命館に設けられていた予備スタジオへと無事に運搬された。運搬に際しても副盤をいかにも正式な勅使らしい偽物を仕立てつつ、正盤は粗末な袋に入れて木炭自動車で運搬するという念の入れようであった。


製作・配給は松竹
戦後70年にあたる2015年8月8日に全国公開

日本のいちばん長い日
THE EMPEROR IN AUGUST
監督 原田眞人
脚本 原田眞人
原作 半藤一利
『日本のいちばん長い日 決定版』
製作総指揮 迫本淳一
出演者 役所広司
本木雅弘
松坂桃李
堤真一
山崎努


製作・配給は東宝。白黒、東宝スコープ。
1967年(昭和42年)に公開

日本のいちばん長い日
監督 岡本喜八
脚本 橋本忍
原作 大宅壮一
『日本のいちばん長い日』
製作 藤本真澄
田中友幸
出演者 三船敏郎
加山雄三
黒沢年男
佐藤允
中丸忠雄


http://eiga.com/movie/81487/
日本のいちばん長い日
劇場公開日 2015年8月8日

解説
昭和史研究の第一人者・半藤一利の傑作ノンフィクション「日本のいちばん長い日 決定版」を、「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」の原田眞人監督が映画化。1945年8月15日に玉音放送で戦争降伏が国民に知らされるまでに何があったのか、歴史の舞台裏を描く。太平洋戦争末期の45年7月、連合国軍にポツダム宣言受諾を要求された日本は降伏か本土決戦かに揺れ、連日連夜の閣議で議論は紛糾。結論の出ないまま広島、長崎に相次いで原子爆弾が投下される。一億玉砕論も渦巻く中、阿南惟幾陸軍大臣や鈴木貫太郎首相、そして昭和天皇は決断に苦悩する。出演は阿南惟幾役の役所広司、昭和天皇役の本木雅弘をはじめ、松坂桃李、堤真一、山崎努ら。


書誌情報

大宅壮一 編『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(文藝春秋新社、1965年)

(英訳版)『Japan's longest day. Compiled by the Pacific War Research Society 』(講談社インターナショナル、1968年)[3]
(文庫版)『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(角川文庫、1973年5月) ISBN 4041350018

半藤一利『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』(文藝春秋社、1995年6月) ISBN 4163503609

(文庫版)『日本のいちばん長い日 決定版』(文春文庫、2006年7月) ISBN 9784167483159



http://www.sankei.com/life/news/140526/lif1405260021-n4.html
2014.5.26 09:00
09:00
【自作再訪】半藤一利さん「日本のいちばん長い日」 歴史の「ウソ」常識で判断

 戦争は始めるのは簡単だけど、終わりにするのは大変。この一言に尽きます。

 あの大戦争を止めるのは、一筋縄ではいかなかった。太平洋戦争で日本が降伏を最終決定した昭和20年8月14日から、国民に正式発表される翌15日正午までの政府中枢の緊迫した1日を描く作家、半藤一利さん(84)のノンフィクション『日本のいちばん長い日』(昭和40年)は映画化もされ、刊行後ほぼ半世紀を経たいまなお読み継がれるロングセラーだ。(聞き手 磨井慎吾)

 この本を書く少し前に、「史上最大の作戦」というノルマンディー上陸作戦を描いた米国の映画が話題になりましてね。その原題が「ザ・ロンゲスト・デイ(いちばん長い日)」。タイトルはそこから拝借しました。対象を1日に絞り込んで書くと、すごいドラマが生まれるだろうというのは、この映画で得た発想です。で、日本で題材を探したら、8月14日昼の御前会議から15日正午の玉音放送までがちょうど1日。これがいいと思った。終戦時の詳しい経緯は、当時まだ一般にあまり知られていませんでしたから。

 一口に国を愛すると言っても、いろんな人がいろんな愛し方をするわけです。ただ最も危機的な状況にあって、一つの重大事が決定されるとき、人間としてどう動くかというのは、はっきり出てくると思いますね。

 《『日本のいちばん長い日』は当初、販売上の都合で著名ジャーナリストの大宅壮一の名を借り出版。平成7年の「決定版」から、本来の著者である半藤さんの名で刊行された》

 当時、月刊「文芸春秋」編集部次長で忙しかったのですが、終戦20年の夏に出版せよという社命のようなものを受けて、昭和40年3月ごろから書き始めました。土日に取材、毎朝4時に起床し、出社前の7~8時ごろまで執筆していました。いま考えると、終戦20年という時期はよかった。まだ存命者が多く、記憶もしっかりしていましたから。

 もともと、社内で「太平洋戦争を勉強する会」を主宰していまして。きっかけは新入社員時代、戦記物で有名な軍事記者、伊藤正徳さんのアシスタントをした経験です。旧軍人たちに会って話を聞き、取材原稿として伊藤さんに渡すと「この人はウソをついているよ。この時にこんな立場にはいない人だよ」などと教えてくれた。指導を受けるうち、取材というのはこちらもある程度勉強しておかないと相手の話のウソを見抜くことができないと思い、調べ始めたところ、昭和史は面白いなと感じるようになりましたね。

 この本でも何十人という人に取材しましたが、食い違う証言はたくさん出ます。そういうときは、若いころ師事した作家の坂口安吾の「歴史というのは、一つの資料がすべてを語っていることはない。かすかでも別のことを語る資料が残っていたら、その間で何があったかは、常識で判断するしかない」という言葉に従いました。分かりやすい例では、まだ日も出ていない時刻にこんな詳しく見えるわけはないから、この証言は疑わしい、というようなことです。

 《本書の中心となるのは、14日深夜から15日にかけて、降伏に反対する一部の陸軍将校が皇居を一時占拠したクーデター未遂事件(宮城(きゅうじょう)事件)だ。だが主要人物は直後に自決し、生き残った関係者の口も重い》

 「決定版」で、いくつか重要な記述を修正しました。取材を尽くし、押さえるべき部分は押さえたつもりですが、完璧ではない。というのも、この本が舞台化された際、宮城事件に加わった元将校らが公演に招かれていて「今度も出なくてよかった」「出ないよアレは、永久に」と話していたのを聞きとがめ、追及するとはぐらかされたことがありましたから。どうも、まだ何か陸軍関係で明らかになっていない話がある。今となっては聞きようもないし、新資料も出てこないでしょう。そういう意味で、後世の人がもう一度こういう本を書くのは無理だと思いますね。

 現代への教訓? 戦争は始めるのは簡単だけど、終わりにするのは大変。この一言に尽きます。あの時はたまたま昭和天皇という冷静な人がいて、鈴木貫太郎首相、阿南惟(これ)幾(ちか)陸軍大臣といういい役者がそろっていた。それで初めて終戦があり得たわけで、普通は、こううまくはいかない。だから戦争というのは、単純にけしからんからやっちゃえ、で始めるもんじゃないんだよ、と。=月1回掲載します。
                   ◇
【プロフィル】半藤一利

 はんどう・かずとし 昭和5年、東京生まれ。東大文学部卒業後、文芸春秋に入社。「週刊文春」「文芸春秋」編集長、専務取締役を経て作家に。自他ともに認める「歴史探偵」として、近現代史に関する著書を数多く発表。平成5年に『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞、平成10年『ノモンハンの夏』で山本七平賞、18年『昭和史』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。妻は夏目漱石の孫でエッセイストの末利子さん。

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