ながく如月の表記と意味が分からない。説明を求めて、いみょう だとわかる。それではその異名とはなにか。読みにも、いめい とすると、別名、異名と並んで、本名がある。とここで、呼び名であることに気づき、その習慣を持つ風土を思い合わせる。さらには、生物学の学名による同物異名synonymを読むと、破棄されることがあって、当然のことだろうと思う一方で、和名ということがあって、生物学名についてのそれぞれの由来があることを知る。それで、ならべてみると、本名、別名、異名、異称、呼称、あだ名となってくると、幼名、諡と、などなどと、これはどうだろうということである。ほんめい、ほんみょう、べつめい、いめい、いみょう、よびな、ようめい、ようみょう、おくりな、そして死後にまで名前はついてまわる。ここでまた、言語学の異音を思って、音韻上の処理には作業として有効であることで、異名について、思いを戻すことになる。さて、くだんの如月は、じが、爾雅によるという、その出典を探るようなことである。如月、二月を如となす、爾雅。二月為如。
https://www.benricho.org/koyomi/tuki-Kokonyoran2.html
二月・如月(きさらぎ)
『古今要覧稿』に見る、陰暦での『月』の由来など
>
〔古今要覽稿 時令〕
きさらぎ〈二月〉
きさらぎとは二月をいふ、いとふるき和訓なり、日本書紀に〈神武紀〉出たり、
(中略)
二月を伎佐良藝月、言は 久佐伎波里月クサキハリツキ也、草木の芽を張出すは二月也、其久佐伎ノ三言の約めは伎なれば、伎とのみ云べくも、又は草は略くともすべし、佐良と波里ハリは韻通へりと〈語意〉云は、古人未發の考なれども、平田篤胤が、くみ芽さら月にて、夫よりいや生とつヾくといへるかた然るべし、跡部光海翁は、衣更衣陽氣を更にむかふるを云といひ、きさらぎ二月をいふ、氣更に來るの義、陽氣の發達するときなりと〈和訓栞〉いひ、又此月玄鳥到と月令にみゆれば、去年の八月に雁來りしが、また更に來るの意歟と〈類聚名物考〉いへり、また二月の異名あまたあるが中に、むめつさ月と〈躬恒秘藏抄〉いひ、雪消月、〈俊頼朝臣莫傳抄〉梅津月と〈同上〉みえたり、後世にいたりて、月々の名目もいとおほくなりたり、いはゆる梅見月、〈藏玉集〉小草生月と〈同上〉いふたぐひなり、西土にても、異名さま〴〵あるなかに、二月爲レ如と〈爾雅〉いひたるによりて、如月〈事物別名〉と月の字を入て書る様になれり、又二月得レ乙曰二橘如一と〈同上〉みえたり、此月を仲春といふは、仲春之月日在レ釜と〈禮記月令〉いへるにはじまれり、又降入と〈史記〉いへり、又二月曰二仲陽一と〈元帝纂要〉いひ、又令月と〈張子歸田賦〉みえたり、異名は和漢ともにいづれも詩に詠じ、歌によめる句の、後世にいたりて、をのづから異名となれるなるべし、しかればます〳〵月々の名目も、多くなれるならん、たとへば春を青帝といへるを、青皇ともいひ、又春の時氣を青陽といへるを、後には孟陽、仲陽、載陽ともいへるがごとし、孟陽は正月、仲陽は二月也、陽字の上に孟仲の文字を加へて、月々に配當せる名なり、陽春などいへるは、たヾ春をいへるなり、月々にあてたる名目にはあらず、陽字の義、春といふ意と同じ、初春、仲春といふべきを、孟陽、仲陽といひ、又春風を陽風といひ、春の木を陽樹と〈元帝纂要〉みえたり
注:このページで引用した『古今要覽稿』の中の、〈 〉 の括弧は「割註」を表し、ほとんどが文中で引用された文献の表題です。
「衣更着」 寒さがぶりかえし衣を更に着る月。
「生更ぎ」 春に向かって草木が生き返り、芽吹きはじめるという意。
「気更来」 陽気が更に発達して来る時季だから。
「来更来」
ウイキペディアより
>
異名
いんしゅん(殷春)
、うめみづき(梅見月)
、きさらぎ(如月・衣更月)
、けんうづき(建卯月)
、ちゅうしゅん(仲春)
、なかのはる(仲の春・中の春)
、はつはなつき(初花月)
、ゆききえつき(雪消月)
、ゆきげしづき(雪消月)
、れいげつ(麗月・令月)
、をぐさおひつき(小草生月)
http://xn--cbktd7evb4g747sv75e.com/2015/1110/kisaragiimiyurai/
如月の意味と由来!寒さがぶり返す季節?旧暦2月の異名も!
>
「如月」という漢字は、中国最古の辞書といわれる『爾雅(じが)』の中にある、とある記述に由来しています。
「二月を如となす」という一文です。「如」とは、従うというような意味です。ここでは、何か1つが動き出すと、それに従い他のものも次々と動き出すという意味で使われています。
つまり、春という季節は万物・自然・草木などが、次々に動き出す頃であることを表しています。