日本哲学33
なぜ、どうして、作麼生説破は禅問答、さあどうか、答えるぞ、というごとく、ソモサンsomosan 中国、近世の口語 精選日本国語大辞典の用例、※正法眼蔵(1231‐53)仏性「この宗旨は作麽生なるべきぞ」 という問いかけは、見よう、考えようによっては、常に、哲学の問いである。しかし、禅問答では説破する、その機縁を作ることにあるので、禅問答に見る公案が問いとしてある。
http://www.jyofukuji.com/10zengo/2010/03.htm
作麼生 (そもさん)(無門関)
香厳、樹に上る
> 香厳和尚云く「人が樹に上ったとして、その人は口で枝をくわえて両手を枝から離す。そして足も樹を踏まえない宙ぶらりんの状態に在るとき、樹の下から誰かが『達磨さんは西からやってきた真意はなんでしょうか』
さて、如何にこたえるか。哲学することに、何を求めるか。
佛光大辭典 (慈怡法師主編)
作麼生
禪林用語。又作怎麼生、似麼生、作麼、作生。作麼,即「何」;生,為接尾詞。相當於「如何了」、「怎麼樣」。本為宋代俗語,禪宗多用於公案之感歎或疑問之詞。臨濟慧照禪師語錄勘辨(大四七‧五○三上):「後溈山問仰山:『此二尊宿意作麽生?』」又作麼會,即「如何體會」之意。 p2780
即心是仏ー「正法眼蔵」(1ー3) | 中野禅塾nakano-zenjuku.com › ...
2016/12/13 - いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法一切法一心なり・・・古徳云く、作麽生(そもさん)か是れ妙浄明心。山河大地、日月星辰訳:また昔の釈尊や優れた祖師たちが、正しく伝えて来た心というのは、「心とはすべての存在のことで ...
http://butsunitiji.com/houwa65.html
とらわれない心
>無門関第五則『香厳上樹』よりお話しをいたしたいと存じます。
香厳<きょうげん>和尚云く、人の樹に上がる如し。口に樹枝を銜<ふく>み、手に枝を攀<よ>じず、脚は樹を踏まず。
樹下に人有って西来<せいらい>の意を問わんに、対<こた>へずんば即ち他の所問うに違<そむ>く、若し対<こた>ふれば喪身失命せん。
正恁麼<しょういんも>の時、作麼生<そもさん>か対<こた>へん。
なぜ、どうして、作麼生説破は禅問答、さあどうか、答えるぞ、というごとく、ソモサンsomosan 中国、近世の口語 精選日本国語大辞典の用例、※正法眼蔵(1231‐53)仏性「この宗旨は作麽生なるべきぞ」 という問いかけは、見よう、考えようによっては、常に、哲学の問いである。しかし、禅問答では説破する、その機縁を作ることにあるので、禅問答に見る公案が問いとしてある。
http://www.jyofukuji.com/10zengo/2010/03.htm
作麼生 (そもさん)(無門関)
香厳、樹に上る
> 香厳和尚云く「人が樹に上ったとして、その人は口で枝をくわえて両手を枝から離す。そして足も樹を踏まえない宙ぶらりんの状態に在るとき、樹の下から誰かが『達磨さんは西からやってきた真意はなんでしょうか』
さて、如何にこたえるか。哲学することに、何を求めるか。
佛光大辭典 (慈怡法師主編)
作麼生
禪林用語。又作怎麼生、似麼生、作麼、作生。作麼,即「何」;生,為接尾詞。相當於「如何了」、「怎麼樣」。本為宋代俗語,禪宗多用於公案之感歎或疑問之詞。臨濟慧照禪師語錄勘辨(大四七‧五○三上):「後溈山問仰山:『此二尊宿意作麽生?』」又作麼會,即「如何體會」之意。 p2780
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2016/12/13 - いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法一切法一心なり・・・古徳云く、作麽生(そもさん)か是れ妙浄明心。山河大地、日月星辰訳:また昔の釈尊や優れた祖師たちが、正しく伝えて来た心というのは、「心とはすべての存在のことで ...
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とらわれない心
>無門関第五則『香厳上樹』よりお話しをいたしたいと存じます。
香厳<きょうげん>和尚云く、人の樹に上がる如し。口に樹枝を銜<ふく>み、手に枝を攀<よ>じず、脚は樹を踏まず。
樹下に人有って西来<せいらい>の意を問わんに、対<こた>へずんば即ち他の所問うに違<そむ>く、若し対<こた>ふれば喪身失命せん。
正恁麼<しょういんも>の時、作麼生<そもさん>か対<こた>へん。