体用 日本文語の文法について その18
文典は文法の体系を解説する。その記述は品詞論のレベルで構文論には及ぶことが少ない。構文の原理が文にありその単位文の終止は外形的に決められた。すなわち述語に置かれる品詞の終止形によって帰納された。文とは何かと言えば日本語は文末終止また終わる詞の機能を抽出して規定されている。いわば主語と述語が文として働くための句点で終わる。
実は日本語にある文としての単位は句によってあらわされる。その句構造は文構造に包含されるものである。さきに文が終わるための句点を機能としてとらえたのであるが、それが文の終止であるなら、句読点は句としての休止終止でもあった。単位文に主語述語を規定すると一文の終わりはその単位の終わりに句を持ち、それで句点と言うことになる。
文法は語法であり句法でもある。文法の文について分析をすると句が析出する。その句にあったのは体と用のことである。体言用言として語句の分類に用いられてさらに品詞類を分けるようになった。そもそもは句構造を示す原理であった。ただその論理が言語の現象と所作の解明にあって文法の抽象を得ることがなかったので名称が文法では引き継がれた。
体用は、たいよう、たいゆう、である。その説明を見ると、デジタル大辞泉の解説では、
たい‐ゆう 【体▽用】1 本体とその作用。たいよう、2 連歌・俳諧で、山・水辺・居所に関する語を分類して、その本体となる「峰」「海」などを体、その作用・属性を表す「滝」「浪」などを用としたこと、3 能楽で、基本的な芸と、そこから生じる風趣、と解説する。
たい‐よう【体用】1 文法で、体言と用言。2 ⇒たいゆう(体用)、と見える。また、詳しくする世界大百科事典 第2版の解説【体用 tǐ yòng】では、中国の哲学・思想・レトリック運用のための概念範疇と見えて、少し明らかにされるところ、それを論理と理解することが少ないのは、わたしたちにとっての言語がそのままに当てはめられるからであろう。
解説は、その基本形式は〈甲は丙の体,乙は丙の用〉または〈甲は乙の体,乙は甲の用〉つまり〈甲は体なり、乙は用なり〉という風に体用が対挙されることである、因果概念がたとえば風と波の関係をいうのに対して、体用は水と波の関係を示す。しばしば実体とその作用(または現象)と解される、として、やはりわかりにくい体用の説明である。
この解説がどこまでのものかが疑問であるのは、次のように結ぶからである。いわく、もっとゆるやかに〈体とは根本的なもの、第一次的なもの、用とは従属的なもの、二次的なもの〉としておく方がよい、というわけで、日本語文法に取り入れたこの概念はさかのぼれば古代インドの哲学にも及びそうである。向後の究明さるべき課題、体用のことである。
文典は文法の体系を解説する。その記述は品詞論のレベルで構文論には及ぶことが少ない。構文の原理が文にありその単位文の終止は外形的に決められた。すなわち述語に置かれる品詞の終止形によって帰納された。文とは何かと言えば日本語は文末終止また終わる詞の機能を抽出して規定されている。いわば主語と述語が文として働くための句点で終わる。
実は日本語にある文としての単位は句によってあらわされる。その句構造は文構造に包含されるものである。さきに文が終わるための句点を機能としてとらえたのであるが、それが文の終止であるなら、句読点は句としての休止終止でもあった。単位文に主語述語を規定すると一文の終わりはその単位の終わりに句を持ち、それで句点と言うことになる。
文法は語法であり句法でもある。文法の文について分析をすると句が析出する。その句にあったのは体と用のことである。体言用言として語句の分類に用いられてさらに品詞類を分けるようになった。そもそもは句構造を示す原理であった。ただその論理が言語の現象と所作の解明にあって文法の抽象を得ることがなかったので名称が文法では引き継がれた。
体用は、たいよう、たいゆう、である。その説明を見ると、デジタル大辞泉の解説では、
たい‐ゆう 【体▽用】1 本体とその作用。たいよう、2 連歌・俳諧で、山・水辺・居所に関する語を分類して、その本体となる「峰」「海」などを体、その作用・属性を表す「滝」「浪」などを用としたこと、3 能楽で、基本的な芸と、そこから生じる風趣、と解説する。
たい‐よう【体用】1 文法で、体言と用言。2 ⇒たいゆう(体用)、と見える。また、詳しくする世界大百科事典 第2版の解説【体用 tǐ yòng】では、中国の哲学・思想・レトリック運用のための概念範疇と見えて、少し明らかにされるところ、それを論理と理解することが少ないのは、わたしたちにとっての言語がそのままに当てはめられるからであろう。
解説は、その基本形式は〈甲は丙の体,乙は丙の用〉または〈甲は乙の体,乙は甲の用〉つまり〈甲は体なり、乙は用なり〉という風に体用が対挙されることである、因果概念がたとえば風と波の関係をいうのに対して、体用は水と波の関係を示す。しばしば実体とその作用(または現象)と解される、として、やはりわかりにくい体用の説明である。
この解説がどこまでのものかが疑問であるのは、次のように結ぶからである。いわく、もっとゆるやかに〈体とは根本的なもの、第一次的なもの、用とは従属的なもの、二次的なもの〉としておく方がよい、というわけで、日本語文法に取り入れたこの概念はさかのぼれば古代インドの哲学にも及びそうである。向後の究明さるべき課題、体用のことである。