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ゼミは編集する
2006年11月30日00:38友人まで公開 3 view
大学の中でゼミナールがある限り学生主体の授業での指導はなくならない
大学が最高学府でここを卒業すると、それぞれの専門性を生かすべく、社会貢献が始まる
職業教育があるなら大学での学問はゼミナールによって実現される
それを知ることなく予想することなくゼミを選ぶことは出来ない
学生主体の授業が何を意味するか、それは学びあうものの相互啓発だ
教授がいても学生諸君のアイデアは若さゆえに時として指導者の発想を凌駕する
教授と言えどもゼミナールの一員に過ぎない
もちろんゼミ主宰である限りは指導的立場にあって、学びの徒である
そこで実現するものが真の学習足りうるのは自らの自己実現にあるからだ
方法を見つけ工夫し自分なりの満足を得る学習はほかのなにものにも代えがたい
それを提供するゼミこそ学びの場として機能し研究につながる
研究でない、研究を目指さない授業は、したがって3回で飽きてしまうだろう、ゼミナールとしては
時間をつぶすのは容易である、見せかけの進行において目的意識なく、座っていればよい
その受動に慣れてしまうと人間は楽を感じるので、その環境を心地のよさと勘違いをする
ゼミが何をもってゼミたりうるか
ゼミ仲間が同じ目線で同じ目標に向かってそれぞれが
アイデアの限りを尽くすときに
参加する喜びが生まれ学習から研究へと移り行く
その現実を
その実現を
その実質を
その具現を、もとめたまえ