もののあはれ 物の哀れ を、宛てる。しみじみとした情趣をとらえた。その意味内容を説明するのに、しみじみとしたという表現が使われて、さらにとらえがたくなる。物語作品の文脈の用法を帰納してその場面に応じた意味内容の理解ができる語である。しめやかな感情・情緒についていうと解説する。なお、日本国語大辞典の解説を引用する。 >本居宣長が提唱した、平安時代の文芸の美的理念。外界である「もの」と、感情を形成する「あわれ」との一致する所に生ずる調和した情趣の世界を理念化したもの。自然・人生の諸相にふれてひき出される優美・繊細・哀愁の理念。その最高の達成が「源氏物語」であると考えた。
*紫文要領〔1763〕上「これすなはち物語は、物の哀をかきしるしてよむ人に物の哀をしらするといふ物也」
*源氏物語玉の小櫛〔1799〕二・なほおほむね「作りぬしの〈略〉心のうちにむすぼほれて、しのびこめてはやみがたきふしぶしを、その作りたる人のうへによせて、くはしくこまかに書顕はして、おのがよしともあしとも思ふすぢ、いはまほしき事どもをも、其人に思はせいはせて、いふせき心をもらしたる物にして、よの中の物のあはれのかぎりは、此物語にのこることなし」
安波礼弁
宝暦8年(1758)
>或人、予に問て曰く、俊成卿の歌に
恋せずは 人は心も無らまし 物のあはれも 是よりぞしる
と申す此のアハレと云は、如何なる義に侍るやらん、物のあはれを知るが、即ち人の心のある也、物のあはれを知らぬが、即ち人の心のなきなれば、人の情のあるなしは、只物のあはれを知ると知らぬにて侍れば、此のアハレは、つねにただアハレとばかり心得ゐるままにては、せんなくや侍ん、
予心には解(サト)りたるやうに覚ゆれど、ふと答ふべき言なし、やや思ひめぐらせば、いよいよアハレと云言には、意味ふかきやうに思はれ、一言二言にて、たやすく対へらるべくもなければ、重ねて申すべしと答へぬ、さて其人のいにけるあとにて、よくよく思ひめぐらすに従ひて、いよいよアハレの言(コトハ゛)はたやすく思ふべき事にあらず、古き書又は古歌などにつかへるやうを、おろおろ思ひ見るに、大方其の義多くして、一かた二かたにつかふのみにあらず、さて彼れ是れ古き書ともを考へ見て、なをふかく按ずれば、大方歌道はアハレの一言より外に余義なし、神代より今に至り、末世無窮に及ぶまで、よみ出る所の和歌みな、アハレの一言に帰す、されば此道の極意をたづぬるに、又アハレの一言より外なし、伊勢源氏その外あらゆる物語までも、又その本意をたづぬれば、アハレの一言にてこれをおほふべし、孔子の詩三百一言以蔽之曰思無邪との玉へるも、今ここに思ひあはすれば、似たる事也、すべて和歌は、物のあわれを知るより出る事也、伊勢源氏等の物語みな、物のあはれを書のせて、人に物のあはれを知らしむるものと知るべし、是より外に義なし。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/ahare.html
本居宣長記念館
もの‐の‐あわれ〔‐あはれ〕【物の哀れ】ツイートする Facebook にシェア
1 本居宣長が唱えた、平安時代の文芸理念・美的理念。対象客観を示す「もの」と、感動主観を示す「あわれ」との一致するところに生じる、調和のとれた優美繊細な情趣の世界を理念化したもの。その最高の達成が源氏物語であるとした。
2 外界の事物に触れて起こるしみじみとした情感。
「わがアントニオは又例の―というものに襲われ居れば」〈鴎外訳・即興詩人〉
提供元:「デジタル大辞泉」
ウイキペディアより。
>意味
折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁。
日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。
学研全訳古語辞典
もののあはれ
平安時代の文芸の美的理念の一つ。自然・人生に触れて起こるしみじみした内省的で繊細な情趣。あらわな表現を避けて、洗練された繊細さを重んじる。江戸時代、国学者本居宣長(もとおりのりなが)がその著『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』で、『源氏物語』の本質は「もののあはれ」であると唱えたのに始まる。
世界大百科事典 第2版の解説
もののあわれ【もののあはれ】
言葉としては10世紀半ば平安中期ごろから用いられ,《源氏物語》には12例を見る。当時の生活意識上の一規範であった。もともと〈あはれ〉は感嘆詞の〈ああ〉と〈はれ〉とがつづまった語であり,また〈もの〉は古くは神異なもの,あるいは霊的存在をさす語であったが,中古には漠然と対象を限定しない形式語となった。〈もののあはれ〉の語はそうした漠然とした主観的感情をさらに客体化し,対象として捉え直したものといえよう。
世界大百科事典内のもののあはれの言及
【石上私淑言】より
…内容,問答体というスタイル,ともに《排蘆小船(あしわけおぶね)》を踏まえ,それを深化発展させた作である。和歌の定義,本質,形式,起源,歴史,詩と歌の比較など多岐にわたって論じられているが,和歌の本質を〈もののあはれ〉に見,文芸の自律性を強調した点に特色がある。【佐佐木 幸綱】。…
【艶】より
…歌学用語としても,平安時代すでに歌合判詞や歌論の類に見え,しだいに和歌の美的範疇を表す評語となる。藤原俊成の意識した艶の美には,《源氏物語》の〈もののあはれ〉を受け継ぎ,さらに余情美を求めようとする傾斜が認められる。中世以降には艶を内面化しようとする傾向が強まり,心敬の連歌論《ささめごと》などに見える〈心の艶〉〈冷艶〉の美は,その極致とされる。…
【源氏物語玉の小櫛】より
…石見浜田の藩主松平康定の依頼を受けて,1796年(寛政8)に稿成り,99年に刊行された。巻一・二が総論で,14条を設けるが,特に〈もののあはれ論〉が有名で,旧説の儒仏思想に拠る功利的解釈を不可とし,物語の本質は人間的感動・抒情に在りとした。当時としてまさに画期的であったが,短詩形文学にはそのまま妥当するが,物語,小説には不十分なことが指摘されている。…
【国学】より
…また,真淵との出会いから触発された和歌や物語の研究は,歌論の処女作《排蘆小船(あしわけおぶね)》に始まって,《石上私淑言(いそのかみのささめごと)》《新古今集美濃の家づと》《古今集遠鏡(とおかがみ)》《源氏物語玉の小櫛》などの著述のうちに着々と成果をあげる。それらの歌論・物語論をつらぬいているのは,つとに宝暦年間,独自の創見に達していた有名な〈もののあはれ〉の論に要約される主情主義的な人間観であった。宣長学は,同時代の儒学の道徳主義的人間像を排して,あるがままの心情にさからわぬ人性の自然を思想の根本に据えた。…
【本居宣長】より
…蘆をわけてゆく舟という題名のとおり,それは一つの新たな破砕と前進を志向する。そして続く《紫文要領》(1763成立)では,かの〈もののあはれ〉の説がいち早く主題化され,物語の本旨は儒仏の教えなどと違い,ものに感じて動く人の心すなわち〈もののあはれ〉を知るにあることが,《源氏物語》にそくしつぶさに論じられる。それはしかし,文芸の価値の自律をたんに説こうとしたものではない。…