日本言語、日本語、この表記に言葉をもってすると、日本、言語ともにその内実をとらえていてもなお、名づけとしてわかりにくい語である。にっぽん、にほん、げんご、ごんご、げんぎょ というふうに、それぞれを読み分けるのは、Nippon、言語学、言語道断、言語四種論 となるときである。漢字漢語を概念に言葉をとらえてきたのであるから、ことば、言語。語としての使い分けは、音形であることば、文字に写した言語、そして字形のごがある。言語活動の言葉に、言語と語がある、それはとらえようによって、言語と言であって、字形そのものも、場面に応じた言、発言にもそれはいわば字形に対する音形としての、語と言である。語は文字、漢字をもってする、その現象がカタカナ、ラテンをもってすることを語として拡大し、言は記録手段に電子情報のもと、さまざまな場面用法を編み出している。日本語をとらえるには、漢語、中国語である語と、西洋渡来の用語、欧語をもって、雑種混合の言語そのものになりつつある。
日本言語、日本語、この表記に言葉をもってすると、日本、言語ともにその内実をとらえていてもなお、名づけとしてわかりにくい語である。にっぽん、にほん、げんご、ごんご、げんぎょ というふうに、それぞれを読み分けるのは、Nippon、言語学、言語道断、言語四種論 となるときである。漢字漢語を概念に言葉をとらえてきたのであるから、ことば、言語。語としての使い分けは、音形であることば、文字に写した言語、そして字形のごがある。言語活動の言葉に、言語と語がある、それはとらえようによって、言語と言であって、字形そのものも、場面に応じた言、発言にもそれはいわば字形に対する音形としての、語と言である。語は文字、漢字をもってする、その現象がカタカナ、ラテンをもってすることを語として拡大し、言は記録手段に電子情報のもと、さまざまな場面用法を編み出している。日本語をとらえるには、漢語、中国語である語と、西洋渡来の用語、欧語をもって、雑種混合の言語そのものになりつつある。