思考の形態と様式 言語観5
言語観の流れは神授説、哲学論議による言語慣用また唯名論、言語記号の恣意性と近代の言語学までを見て、現代言語学の祖としての普遍言語の学説までを眺めると、そこにもうひとつ、17世紀の言語哲学を見出すことになる。修道院の名前からその文法の考え方が見られるのはポール・ロワイヤル文法と呼ばれる。原著はフランス語になる、一般・理性文法とタイトルにあり、明瞭で流暢な説明での話術の基礎とフランス語である。日本語翻訳を手にしたことがあったが、いまにして思えば、その哲学を理解していなかった。思考の対象を表す語と、思考の形態と様式を表す語に大別した物と紹介され、思考の対象に客体的表現、そして思考の形態と様式としたところに主体的表現があるという。この表現様式こそが言語の文法であるらしい。
次は、フリー百科事典ウイキペディアの引用である。
>『ポール・ロワイヤル論理学』(Logique de Port-Royal)、正式名称『論理学、あるいは思考の技法』(La logique, ou l'art de penser)とはアントワーヌ・アルノーとピエール・ニコルの共著として記され、1662年に出版された論理学に関する書籍である。
>ポール・ロワイヤル文法(フランス語: Grammaire de Port-Royal 出版題: フランス語: Grammaire générale et raisonnée contenant les fondemens de l'art de parler, expliqués d'une manière claire et naturelle(一般・理性文法、附 明確で流暢な説明での話術の基礎))は、言語哲学における先駆的著作である。アントワーヌ・アルノーとクロード・ランスロ(英語版)の手になる著作で、ポール・ロワイヤル論理学の言語学側の対をなす。この通称は、両者が属していたジャンセニスムの中心であったポール・ロワイヤル修道院にちなんでいる。
>日本語訳に、『ポール・ロワイヤル文法 : 一般・理性文法』(南舘英孝訳、大修館書店、1972)がある。
>ポール・ロワイヤル修道院(ポール・ロワイヤルしゅうどういん、フランス語:Port-Royal-des-Champs)はフランス、パリの南西シュヴルーズの谷にかつて存在したシトー会女子修道院であり、またそこから多くの分野での重要な学派が生まれた。現在はその跡が残されている。
>しかしカトリック教会から、この神学は背教の流布であると見なされた。1679年、修道院は新規入門者の受け入れを禁止され、終焉の訪れを感じさせるようになる。ローマ教皇、クレメンス11世の令状により1708年、ポール・ロワヤイルの廃止が布告されたことにより、翌年には修道女の強制退去、更に翌年の1710年には修道院自体の取り壊しが行われた。
近代欧米人の中国語語法研究
www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~keiuchid/pdf/EuroGrammar.pdf
が逆にその言語の 「特徴」 (それはすなわちその言語の 「普遍性」 でもある) を浮き上がらせることにもなるのであ. る”. ここでは、 特に ... 一 つは彼らが真正面から中国語と向き合つたこと、 もう一 つは 「ポール ・ ロワイヤル文法」 理論である〟. 彼らは、 欧米の ...
>「ポール・ロワイヤル文法 ― 一般理性文法」は17‒ 8 世紀のヨーロッパにおけるラテン語規範文法として高く評価され、18‒ 9 世紀の英語文法にも大きな影響を及ぼしたが、その最も肝心な部分は以下の数段である(なお日本語訳は南舘英孝訳 1972による)。
文法とは話す技法である。話すとは、人間が自分の考えを表すために発明した記号によって、それを表明することである。( 5 p)
哲学者は誰でも、我々の精神に三つの作用があることを説く。すなわち、認識し、判断し、そして推論することである。(34p)
第三の作用は、第二の作用の延長であるにすぎぬことがわかる。(35p)
口をきくのは、認識した事物について下す諸々の判断を表現するためである。(35p)
事物に関して我々が下す判断は命題と呼ばれる。例えば、「地球は丸い」と言う場合である。このようにあらゆる命題は必然的に二つの辞項を包蔵する。一方は主部と呼ばれ、人が断言する対象であり、他方は述部と呼ばれ、断言する内容である。これらの二辞項を結ぶ連繫部がある。
さて、この二つの辞項は厳密には精神の第一の作用に属することが容易に理解される。これは我々が認識したことがらであり、我々の思考の対象であるからである。また、二辞項の連繫は第二の作用に属することも容易に理解される。それは我々の精神に固有の作用であり、我々の思考の仕方であると言える。(35‒36p)
以上から、人間は自らの精神内で生起することを表わすために記号を必要としているが、また他方、語はごく一般的に次のように区別される必要がある、という結論になる。すなわち、その区別とは、一方は思考の対象を表わし、他方は我々の思考の形態と様式を表わすことである。(36p)
言語観の流れは神授説、哲学論議による言語慣用また唯名論、言語記号の恣意性と近代の言語学までを見て、現代言語学の祖としての普遍言語の学説までを眺めると、そこにもうひとつ、17世紀の言語哲学を見出すことになる。修道院の名前からその文法の考え方が見られるのはポール・ロワイヤル文法と呼ばれる。原著はフランス語になる、一般・理性文法とタイトルにあり、明瞭で流暢な説明での話術の基礎とフランス語である。日本語翻訳を手にしたことがあったが、いまにして思えば、その哲学を理解していなかった。思考の対象を表す語と、思考の形態と様式を表す語に大別した物と紹介され、思考の対象に客体的表現、そして思考の形態と様式としたところに主体的表現があるという。この表現様式こそが言語の文法であるらしい。
次は、フリー百科事典ウイキペディアの引用である。
>『ポール・ロワイヤル論理学』(Logique de Port-Royal)、正式名称『論理学、あるいは思考の技法』(La logique, ou l'art de penser)とはアントワーヌ・アルノーとピエール・ニコルの共著として記され、1662年に出版された論理学に関する書籍である。
>ポール・ロワイヤル文法(フランス語: Grammaire de Port-Royal 出版題: フランス語: Grammaire générale et raisonnée contenant les fondemens de l'art de parler, expliqués d'une manière claire et naturelle(一般・理性文法、附 明確で流暢な説明での話術の基礎))は、言語哲学における先駆的著作である。アントワーヌ・アルノーとクロード・ランスロ(英語版)の手になる著作で、ポール・ロワイヤル論理学の言語学側の対をなす。この通称は、両者が属していたジャンセニスムの中心であったポール・ロワイヤル修道院にちなんでいる。
>日本語訳に、『ポール・ロワイヤル文法 : 一般・理性文法』(南舘英孝訳、大修館書店、1972)がある。
>ポール・ロワイヤル修道院(ポール・ロワイヤルしゅうどういん、フランス語:Port-Royal-des-Champs)はフランス、パリの南西シュヴルーズの谷にかつて存在したシトー会女子修道院であり、またそこから多くの分野での重要な学派が生まれた。現在はその跡が残されている。
>しかしカトリック教会から、この神学は背教の流布であると見なされた。1679年、修道院は新規入門者の受け入れを禁止され、終焉の訪れを感じさせるようになる。ローマ教皇、クレメンス11世の令状により1708年、ポール・ロワヤイルの廃止が布告されたことにより、翌年には修道女の強制退去、更に翌年の1710年には修道院自体の取り壊しが行われた。
近代欧米人の中国語語法研究
www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~keiuchid/pdf/EuroGrammar.pdf
が逆にその言語の 「特徴」 (それはすなわちその言語の 「普遍性」 でもある) を浮き上がらせることにもなるのであ. る”. ここでは、 特に ... 一 つは彼らが真正面から中国語と向き合つたこと、 もう一 つは 「ポール ・ ロワイヤル文法」 理論である〟. 彼らは、 欧米の ...
>「ポール・ロワイヤル文法 ― 一般理性文法」は17‒ 8 世紀のヨーロッパにおけるラテン語規範文法として高く評価され、18‒ 9 世紀の英語文法にも大きな影響を及ぼしたが、その最も肝心な部分は以下の数段である(なお日本語訳は南舘英孝訳 1972による)。
文法とは話す技法である。話すとは、人間が自分の考えを表すために発明した記号によって、それを表明することである。( 5 p)
哲学者は誰でも、我々の精神に三つの作用があることを説く。すなわち、認識し、判断し、そして推論することである。(34p)
第三の作用は、第二の作用の延長であるにすぎぬことがわかる。(35p)
口をきくのは、認識した事物について下す諸々の判断を表現するためである。(35p)
事物に関して我々が下す判断は命題と呼ばれる。例えば、「地球は丸い」と言う場合である。このようにあらゆる命題は必然的に二つの辞項を包蔵する。一方は主部と呼ばれ、人が断言する対象であり、他方は述部と呼ばれ、断言する内容である。これらの二辞項を結ぶ連繫部がある。
さて、この二つの辞項は厳密には精神の第一の作用に属することが容易に理解される。これは我々が認識したことがらであり、我々の思考の対象であるからである。また、二辞項の連繫は第二の作用に属することも容易に理解される。それは我々の精神に固有の作用であり、我々の思考の仕方であると言える。(35‒36p)
以上から、人間は自らの精神内で生起することを表わすために記号を必要としているが、また他方、語はごく一般的に次のように区別される必要がある、という結論になる。すなわち、その区別とは、一方は思考の対象を表わし、他方は我々の思考の形態と様式を表わすことである。(36p)