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帰省に、省みるは

2018-08-12 | 思い遥かに


連休の帰省がニュースとなる。民族移動だとか、列車、交通機関の混雑には高速道、飛行機旅行なども加わって、そのターミナルには家族連れがにぎわう。車の移動が渋滞情報で、便利になって刻々と伝わる。混雑解消は程遠いが、これもお盆の帰省ラッシュのこととなった。かつては列車の切符を買うのに徹夜待ちの行列ができて帰省当日の乗客をさばききれずに、駅に人があふれた。いまもその状況に変わりはなくとも、切符を手に入れて、目指す列車に乗るには、切符が取れるという、コンピュータ予約でさまざま、良くなった模様である。ふっと、中国の帰省客の様子が思い出された。春節の移動はどこでも、北京駅、西安駅、上海駅と、それを目撃し、1984年からのこと、駅舎内、行内の張り付いた人、人、人広場で待つ人、人、人、それこそ列車に乗り込むのは大きな荷物と人のぶつかり合いであったから、あれから30年を経て、少しは変わったろうか。それはまさに人の上を歩くようにして、目的の列車に近づいたものだった。軟座の通り道は別にあって、そこをかき分けていくことだった。日本の帰省客も中国の帰省客もシーズンに現れでてくるのは、思いは同じであるから、風物誌となる。


http://sentokunet.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-4c8d.html
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《送張景宣下第東歸(歸揚州覲省)》朱慶餘

歸省値花時,閑吟落第詩。

高情憐道在,公論覺才遺。

春雨連淮暗,私船過馬遲。

離心可惆悵,為有入城期。

『全唐詩』


 帰 省

遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車には乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく

けれど年に2回 8月と1月
人ははにかんで道を譲る 故郷(ふるさと)からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

機械たちを相手に言葉は要らない
決まりきった身ぶりで街は流れてゆく
人は多くなるほど 物に見えてくる
ころんだ人をよけて 交差点(スクランブル)を渡る

けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足を止める 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足を止める 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる


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《送張景宣下第東歸》
朱慶餘著 電子圖書館
1 打開字典 送張景宣... :
歸省值花時,閑吟落第詩。高情憐道在,公論覺才遺。



世界大百科事典 第2版の解説
きせい【帰省】
元来の意味は,〈故郷に帰って親の安否を気遣う〉という唐の詩人朱慶余の漢詩に出典がもとめられる。しかしその意味は時代の推移につれて変化している。近代以降,身分制の崩壊と学校制度の整備にともない,立身出世主義が急速に広がるなかで,〈功成り名を遂げて,故郷に錦を飾る〉ことが,成功者の理想像として一層強くなった。こういう形で帰省することは,幼時から受けた親の恩に報い,孝養を尽くすことであったと同時に,故郷への晴れがましい成功の顕示でもあった。

世界大百科事典内の帰省の言及
【挨拶】より
…そこには,親子間のこととして,〈昏(ゆうべ)に定め晨(あした)に省(かえり)みる〉,子は夕べには父母の寝床を整え,朝には必ず父母のごきげんをうかがうとあり,師弟間のこととして,〈先生に道に遭えば,趨(はし)りて進み,正立して手を拱(こまぬ)く〉,道で先生に出会ったときには先生のもとへ走り寄り,起立して両手を前に重ねて挨拶する(これは〈拱手(きようしゆ)〉という中国独特の挨拶の所作)とある。また,〈帰省〉という言葉も,もとは故郷を離れて身を立てている子が,両親の安否をきづかって帰るという挨拶をいった。これらは父母や先生に対する親愛・敬意を表そうとするものであり,きわめて厳格に行われた。…

※「帰省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。





熱中症と盆
2007年08月12日23:00

2人の方がなくなったとニュース
家のなかでも脱水症状で熱にやられる
通りで倒れた人はジョギングしていたとかで42度の体温だったそう
頭からとろけちゃう、とけると、言いたくもなる……

考える力も気も体力もなくなるようだ
お盆が来て、盆とはなにか、とか、これは休みになっても考えないだろうね
盂蘭盆が連想されて、薮入りなどというのもあって、そこへ民族の大移動だから、墓まいりに関係するぐらいに思うか
使者が帰るなどと初盆は悲しいし

ウイキペディアより
>日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事。一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義ではどうしても説明できない部分も多く、日本在来の民俗行事に仏教行事の盂蘭盆が習合して現在の形が出来たと考えられている。
>仏教用語の盂蘭盆の省略形として「盆」(通常「お盆」)と呼ばれる。盆とは文字通り本来は霊にそなえる供物を置く容器をも意味するため、供物を備え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。現在でも精霊をボンサマと呼ぶ地域がある。

ずいぶんと丁寧な説明だ
>盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭事となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれている。日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。

仏教の宗派が盆を取り込んで行事のようにして
>地方や、仏教の宗派により行事の形態は異なる。盆とは別に夏に行われる地蔵の法会は「地蔵盆」と呼ばれる。

http://www.miyagawa.com/syuha/2101-2.html

盆そのものが休みを意味するとなると

>お盆は、比喩として使われることもある。「盆暮」(ぼんくれ)などと時季を指す言葉としてや、「盆と正月が一緒に来たような」という「とても忙しいこと」または「喜ばしいことが重なること」のたとえ慣用句としての使用法がそれである。

と言うのだが、それは手の舞足の舞ふみどころを知らず狂喜するさまで、忙しいわけでもなんでもない、はずだった

そこで薮入りを引くと
>春秋の二季、奉公人が主人から休暇をもらって親許に帰ることを薮入りと言います。
 主に正月と七月の十六日前後になります。
 当時は、仕事を見習うために、職人・商人ともに、十三・四歳頃から師匠や商家を選んで奉公に出ますが、これを丁稚奉公と言います。
 年期はおよそ十ヵ年。
 丁稚たちは例年、正月の薮入りに主人から衣類万端与えられ、小遣いをもらって親許へ帰ります。
 丁稚から元服した者は、薮入りを許されません。
 その場合は親許へは帰らず、芝居見物等をして羽をのばしました。
 武家奉公の女中は一日か三日、あるいは七日の暇を許されます。
 七日七夜の暇が許されるのを「宿下がり」と言います。


コメント
2007年08月12日 23:16
お盆の比喩かぁ…
これは考えたことなかったっすね!!
コメント
p2007年08月12日 23:27
帰省客が多いことから、たとえて、ツアー客が多いときに、盆のようだ、と言えばいい、が、国民的民族大移動はゴールデンウイークにある、しかし使わなければニュアンス、も、生まれない、でしょう。




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