文と文章と、そのあいだにあって、文、章句、文章となるところ、章句は文集合の段落、文段かと見る。文法と文章法を、あらためて、語、句、節、文となることと、文、章句、文章となることとを考え合わせる。
文と章と
2017-02-21 22:56:19 | 日本語文法文章論
文章があった。文を章としてたてる。その文は、綾であるから、ことばそのものを、いろいろに表現している。中国古典において、それが章をなすと、あやのあやである。字通によって、
>また詩文の章節・楽章の意となる。文(文)が文身の意より文雅・文章の意となったように、章も入墨の意から諸義が展開する。その展開の過程は、両者に似たところがある。訓義に、詩文、楽曲の一節とある。
章句となると、
>【章句】しよう(しやう)く 文章の段落。章と句。〔文心雕竜、章句〕
と見える。
章法、しようほう 作文の法、というのがある。わたしにとらえる文章は句を連ねたまとまりをなすものである。
文と章と文章があった。文を章としてたてる。その文は、綾であるから、ことばそのものを、いろいろに表現している。中国古典において、それが章をなすと、あやのあやである。字通によって、>また詩文の......
文と章と
2017-02-21 22:56:19 | 日本語文法文章論
文章があった。文を章としてたてる。その文は、綾であるから、ことばそのものを、いろいろに表現している。中国古典において、それが章をなすと、あやのあやである。字通によって、
>また詩文の章節・楽章の意となる。文(文)が文身の意より文雅・文章の意となったように、章も入墨の意から諸義が展開する。その展開の過程は、両者に似たところがある。訓義に、詩文、楽曲の一節とある。
章句となると、
>【章句】しよう(しやう)く 文章の段落。章と句。〔文心雕竜、章句〕
と見える。
章法、しようほう 作文の法、というのがある。わたしにとらえる文章は句を連ねたまとまりをなすものである。