
0310_25 高齢における健康維持に故障と闘い老いに抵抗するその自覚を持つか持たないか。日々にこわれていく、いるのだろうから、脳の神経が身体じゅうの痛みを伝えてくると、あっちがこう、こっちがどうと、バランスを崩さないように調整、調節をする。年明けのいわば蟄居状態から抜け出るべく啓蟄の候に入ってそろりそろりと動き出す。肩は80まで持たないだろう、足は萎えると歩けないからわかりよい、腕の力も抜けてくるから気合を忘れないように、この二日回復を図る。
かの学説に、20代で衝撃を受けた、仮説があるんだという理屈を知ったからである。
学びのはじめにブックからの摂取が続く。
うじゃうじゃ、仮説の証明に至らない時枝理論だからであるが。
橋本学説の著作集に触れて実証を方法とすることを学び、文法理論の背景をにらむことになる。山田学説になるとその理論が見えるようでわかりにくい。そうしているうちに三上学説を読むがこれまた仮説の最たるもので、かの学説の証明のできないことと同様であった。
三上の実証は主語がある理論をもって日本語にないと言っているだけなので、実証の方法論を良しとするようになったことは、理論では形態論に理屈と実際の習得に目を開かれて、師と仰ぐ宮地学説を日本語教育文法に沿ってまなぶ。そのかたわらに松下学説を知ることになって、国語文法と日本語文法の隔たりを見る。
こころのこえ、そんなものはない、聞こえない。国語文法の付属語をしっかりと理論づけるにはどうなるか。
主語が必須でないと言えば、それで済むから、主語はある。主格補語にして、主語の資格をやはり説明すると、どうなる、こうなる。
仮説理論の証明にはAI並みの中間層学習をするとうまくいくか。
実証研究にこれまたコーパスのようなデータが用例となると、ことばをどこで使っているというのか。
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