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古典文学

2014-03-07 | 日本語百科
古典文学は古い時代の文学と捉えられるようになってしまった。なってしまったというのは、いつからかそうなって、辞書の説明にも日本の古典文学をそのように記述してしまっている。それによれば、近代文学と対比するようなことである。それで、かつてこのブログでふれてきているが、古典文学の叢書を発行し、それの刊行をあいつで、出版社が続けたことが一つのきっかけだとわかる。すくなくとも、古典文学の大系、古典文学の全集、一方で、古典集成など、この数十年のなかにある。そして、はやくに古典全書として編集されたものにその嚆矢を認める。それを古典文学とするのは編集者の収書する作品選択があることで、日本古典文学が何を示すかについてはそれなりに、大系、全集、あるいは全書で一覧して理解できればよいだろう。それが近代文学また現代文学と並ぶときに考えなければならないことがある。その収集された作品のジャンルについてである。それを具体的な議論とすることがないので、この語のとらえるところを包括して文学と言ってしまっている。さらにその分野から、いうところの古典文学においても当てはまるのであるが、日本の文芸における、近代以降の作品で日本語文学なる呼称も出てきたりしている。したがって、日本文学、日本語文学、翻訳文学などの作品に、それが古典であるゆえんを議論していく必要があるという、時代とジャンルををぐるりめぐりめぐって極めて根本的な事柄に逢着する。



デジタル大辞泉の解説
こてん‐ぶんがく 【古典文学】
1 規範的で恒久的な価値をもつと見なされる文学。
2 一民族の伝統を形成する、過去のすぐれた文学。日本ではふつう近代文学に対して江戸時代までのものをいう。


大辞林 第三版の解説
こてんぶんがく【古典文学】
古い時代に作られ,現在も高い評価を受けている文学作品。西洋では,文学の原点,創作上の模範とされる,古代ギリシャ・ローマの作品を特にさし,日本では近代文学に対して,江戸時代までの文学をさしていうことが多い。



ウイキペディアより
>古代・中世の日本文学は中国の文化的影響が著しく、日本が仏教を受け容れたことからインド文学の間接的影響もみられる。中国文学の影響は江戸時代にもみられるが、いずれの時代においても日本人作家の独創が顕著にみられる。明治維新以降は欧米の文化的影響を強く受けたが、英米文学・フランス文学・ドイツ文学・ロシア文学などを短期間のうちに摂取・模倣し、日本独自の高度な近代文学を創造していった
>日本語を母語としない外国人作家が日本語作品を書くこともあるし、日本人作家が日本語以外の言語で作品を書くこともある。例えば西脇順三郎は日本語と英語、多和田葉子は日本語とドイツ語の双方で作品を執筆している。このように国籍や居住地と言語とが一致しない場合もあることを考慮し、日本語文学という呼称が使われることもあるが、この場合伝統的な日本文学に根ざしてきた漢文・漢詩の扱いが微妙になる。


古典文学年表
www.h3.dion.ne.jp/~urutora/kotenbungakupeji.htm‎
自身を女性に仮託、仮名で書かれた最初の日記文学。知人との別れ、人情の機微、自然の脅威、行く先々での感慨など内容は多岐にわたり、なかでも、土佐で失った愛娘に対する哀悼の叙述は印象深い。また、全編に57首の歌を配しながら歌論をわかりやすく ...


  710 平城京へ遷都

712 古事記
 
713 風土記
 
720 日本書紀

  720 藤原不比等が死去
  723 三世一身法
  731 大伴旅人が死去
  733 山上憶良が死去

751 懐風藻

  752 東大寺大仏開眼供養
  754 鑑真が来日
 
759 万葉集

  901 菅原道真を大宰府に左遷

905 古今和歌集
  
   竹取物語
  
   伊勢物語
 
935 土佐日記

  935 承平天慶の乱

951 後撰和歌集

956 大和物語

  960 中国に宋が起こる

974 蜻蛉日記

  落窪物語
 
1000 拾遺和歌集

  995 藤原道長が右大臣に

1002 枕草子

  1000 定子が皇后に、彰子が中宮となる
  1000 定子が死去

1004 和泉式部日記
 
1008 源氏物語
 
1008 紫式部日記

  1016 藤原道長が摂政に
  1017 藤原頼通が摂政に

1055 堤中納言物語

  1051 前九年の役
  1053 平等院鳳凰堂が完成

   夜半の寝覚
 
1060 更級日記
 
1060 栄花物語
 
1086 後拾遺和歌集

   1083 後三年の役

1086 大鏡

   1086 白河上皇が院政

1106 今昔物語
 
1127 金葉和歌集

   1129 鳥羽上皇の院政

1151 詞花和歌集

   1156 保元の乱
   1159 平治の乱
   1167 平清盛が太政大臣に

1169 梁塵秘抄

1170 今鏡

   1175 法然が浄土宗を開く
   1180 福原遷都
   1180 源頼朝が挙兵

1187 千載和歌集

   1189 源義経が討たれる
   
1190 水鏡

1190 山家集

   1192 頼朝が征夷大将軍に
   1203 源実朝が征夷大将軍に

1205 新古今和歌集
        
1212 方丈記
 
1214 金槐集

   1219 実朝が暗殺される
 
1220 宇治拾遺物語

1220 愚管抄

1220 保元物語・平治物語

1221 平家物語

   1221 承久の乱
   1224 親鸞の浄土真宗が広まる
   1232 御成敗式目

1235 小倉百人一首
 
1252 十訓抄

   1252 鎌倉に大仏ができる
   1266 吾妻鏡
   1268 北条時宗が執権に

1280 十六夜日記

   1274 文永の役
   1281 弘安の役

1330 徒然草

   1333 鎌倉幕府が滅亡
   1334 建武の新政



1356 菟玖波集

   1368 足利義満が3代将軍に

1370 増鏡

1374 太平記

1391 御伽草子

   1392 南北朝合一
   1397 金閣寺を建てる

1400 風姿花伝
   
   1399 応永の乱
   1404 明との勘合貿易が始まる


1438 義経記
   1443 足利義政が8代将軍に

1495 新撰菟玖波集

1532 犬菟玖波集

   1680 徳川綱吉が5代将軍に

1682 好色一代男

   1687 生類憐みの令

1688 日本永代蔵

1689 奥の細道

   1688 柳沢吉保が側用人に

1691 猿蓑

1692 世間胸算用

   1702 赤穂浪士の仇討ち

1703 曾根崎心中

1709 正徳の治

1711 冥途の飛脚

1715 国性爺合戦

   1716 享保の改革
   1721 目安箱を設置

1748 仮名手本忠臣蔵

   1774 杉田玄白らが「解体新書」

1775 去来抄

1776 雨月物語

   1776 平賀源内がエレキテルを完成

1802 東海道中膝栗毛

   1804 ロシア使節レザノフ来航

1812 玉勝間

   1815 杉田玄白「蘭学事始」

1814 南総里見八犬伝

1819 おらが春

   1821 伊能忠敬の「大日本沿海実測全図」完成


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