語彙の全数調査となると、そこには、単語の総量を計ることになるので、言語資料を対象に全てを調べるということである。
統計処理でその語彙調査の項目が多ければ多い程、結果がわかりよいということではないけれど、全数であれば、それは資料をつぶさに見るということである。
古典作品の基礎語彙はそうして出来上がった経緯がある。
作品ごとの総索引はその全数にあたる自立語付属語の索引を持っていた。
それはまた、作品を対象として範囲を限ることであるので、源氏物語を例にとると、その54帖という長編で大部の源氏物語のようになると、大変なようで、古典文学の文献にほどこされた研究はそれなりの成果が上がっている。
源氏物語大成に収められた索引は一方で、校異源氏のような諸本の対校を持っていたし、その語彙項目の切り方には、源氏作者の語りにある造語、歌言葉の文章と創作という難しさもあったから、その索引をよりよく使うためには、源氏物語新釈用語索引を用いて、それは対校本であったので、2大本文の系統を見ることができ、それをまた全集本、大系本などとページをたどって、本文をとらえようとしたのであった。
語彙調査による計数はあらかた、古典対照語彙表などによっていた。
その経験を持てば語彙論で扱う語の総体、言語資料における語彙項目の総量は、どういうものであるかを知ることになる。
その作品にはこの語がつかわれている、こんな語は現れないなどと議論すると、作品を読み込んでの作業であるから、語彙をよく知ることでもあった。
そうして索引は電子化された資料によってより簡便に編集されるようになり、それはまたコンピュータ処理をするオペレータの指先一つのことにもなってしまって、索引と言いながら引くことが難しかったり、作品を読み込んでのことになるかどうか、言い換えれば、日本語をよく知ってから資料を扱うことの大切さを思うことになる。
それほどのことを小学唱歌の歌詞であつかう紹介はわかりよかった。
春が来た、春が来た、どこに来た、山に来た、里に来た、野にも来た
これを語彙として調査せよというわけである。
それには、延べ語数、異なり語数、単語出現回数、そして頻度計数の一覧をつくれば、そこには頻度順も50音順も語別に知ることができる。
語彙項目の議論は、文節があり、自立語があれば、国語の品詞分類で可能なことになる。
統計処理でその語彙調査の項目が多ければ多い程、結果がわかりよいということではないけれど、全数であれば、それは資料をつぶさに見るということである。
古典作品の基礎語彙はそうして出来上がった経緯がある。
作品ごとの総索引はその全数にあたる自立語付属語の索引を持っていた。
それはまた、作品を対象として範囲を限ることであるので、源氏物語を例にとると、その54帖という長編で大部の源氏物語のようになると、大変なようで、古典文学の文献にほどこされた研究はそれなりの成果が上がっている。
源氏物語大成に収められた索引は一方で、校異源氏のような諸本の対校を持っていたし、その語彙項目の切り方には、源氏作者の語りにある造語、歌言葉の文章と創作という難しさもあったから、その索引をよりよく使うためには、源氏物語新釈用語索引を用いて、それは対校本であったので、2大本文の系統を見ることができ、それをまた全集本、大系本などとページをたどって、本文をとらえようとしたのであった。
語彙調査による計数はあらかた、古典対照語彙表などによっていた。
その経験を持てば語彙論で扱う語の総体、言語資料における語彙項目の総量は、どういうものであるかを知ることになる。
その作品にはこの語がつかわれている、こんな語は現れないなどと議論すると、作品を読み込んでの作業であるから、語彙をよく知ることでもあった。
そうして索引は電子化された資料によってより簡便に編集されるようになり、それはまたコンピュータ処理をするオペレータの指先一つのことにもなってしまって、索引と言いながら引くことが難しかったり、作品を読み込んでのことになるかどうか、言い換えれば、日本語をよく知ってから資料を扱うことの大切さを思うことになる。
それほどのことを小学唱歌の歌詞であつかう紹介はわかりよかった。
春が来た、春が来た、どこに来た、山に来た、里に来た、野にも来た
これを語彙として調査せよというわけである。
それには、延べ語数、異なり語数、単語出現回数、そして頻度計数の一覧をつくれば、そこには頻度順も50音順も語別に知ることができる。
語彙項目の議論は、文節があり、自立語があれば、国語の品詞分類で可能なことになる。