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あのころに

2024-01-15 | ほんとうのところは





 
予報によると、明日は今季、いちばんの冷え方になるようである。底冷えがすると、とどまるところを知らない冷えとなる。気節感が飛んでしまうなか、寒中は気圧配置と寒気の到来で厳しい。

あの頃となると、いつごろか、考えてみて世代をとらえれば、この、その、あのとなって、どのと言う時期は話し手によることになるか、聞き手にゆだねるか、日本語のコミュニケーションでは30年を遠ざかれば、たがいのいつかとなって、そこであの頃が決まる。
2020年代から30年をさかのぼれば、1990年代となるから、それからさらに先を聞き手は想像するし、聞き手は同じく自分の時間軸となる。1989年と聞いてその時期があの頃となるし、そこからまた10年刻みで振り返る。大体、そうなっていると考えてみて、この時代、その時期、あのころ、そしていつか、となる。
1990年代わたしにはわかりよい。そしてあの頃と80年代半ば、1984年にとりあえず話題が飛ぶ。何を言っているのだろうかとなれば、そこでの経験を連想することで、ああ、あの頃ですかとなるかどうか。これはコミュニケーションで一致するかとなると、難しいから、話しとしてのことになる。
民航に乗ってファーストで北京にいったので、それはまあ、普通でした、サーブは満点でね、と言い出すが、そこで東方になると、変わってしまったのである。ローカルに乗ってしまって、あれれ、と。何を言うか、それは機内食が出てきて紙に上下蓋をしたあの弁当が出てきたのである。そういう、あの頃のことになる。
それだけかと、あの頃の話の切り出しはなるが、ここで機内食にトレーがあってプラスティックのフォーク、スプーンと、そうなるのが定番はいまのことか。それも時代が移ってしまった。金属製の食器具であったのを知る人になると、次に現れた樹脂製品はこれまた、あれれ、だ合ったろう。食べるものはそれにつれて、か。
いまはさらに時代が変わって、機内食のありようはかわってしまって、ホテルだのレストランだの当たり前の感覚で私体は飛行機に乗っているから、この話題にも何を言い出すのかということになってしまう。その話しであの頃というわけである。どの頃のことで、それにつれて思い出すことなどは、なんだろう。
紙の蓋上下にふさがる弁当箱で、これを長距離列車の社内食で、販売に回っていたのを、列車内で食したことがある。まだそれを買い求める層は当時は列車内でもあたりまえになるかどうかという、その弁当が飛行機で出てきたのだから、わたしには衝撃感があった。東方航空のサービスはそうだったのである。
これだけ言葉を足して、あの頃はね、という1980年代半ばのことで、その環境で空間におこったことなどがわたしにはわかることなのである。ご存じのように東方航空はいまはまったく、なんと言おう、普通であるし、それ以上のことを、JALとの提携でさまざま、機内サービスに言えばレベルが変わってしまっている。
そうだな、ほかに何があったのかとなると、立ち振る舞いのことなど、細かいことであるが、あの頃の様子がわかる人はもういなくなりつつある。どんなことで説明ができるか、百貨店の売り子で思い出せば、国営の服務員のサービスでは陳列商品を手に見たいと言ったら、ショウケースから取り出してポンと投げてよこす、これもわかるかなぁ。経験者でないと、隣のケースにある品物をみたいと言うと、いまの店員は反応しない、隣はまた違う服務員がいてそちらにいわなければならない。何とも思いだすだけでコミュニケーションのない、採れない、取りにくいあの頃だったのである。
30年、そして10年もさかのぼると、改革大解放とでも言える時代に差し掛かる、さらに10年となると1970年代は文革のまっただなか、そこはわたしも名残だけを知る困難なはないsとなる。
でも、話しだせばきりがないくらいに、変わったね、という言い方で済まされてしまうことばかり、その変わる前を知るものは世に少なくなってしまった。










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