はじめに言葉ありき、創世は神の言葉ロゴスからはじまった、新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から。
ロゴスを言葉と訳しても、真実、真理、論理、理性、概念、調和・統一のある法則などを示すという解釈もできるそうである。
その言葉だから、始めに神の言葉ありという思い込んできたのだが、その言葉の大切さだとなれば理解もできように。
宗教書、思想書、哲学書でもなく、信仰の書であるからその始めには重きがってしかるべきである。日本語の場合には仏教が招来して、神道には経典がないとされて、原始信仰のままに解説されている。
翻って歴史書、わが国史にはどう始まるか。次に見える冒頭部分には、
>古天地未剖,陰陽不分,渾沌如鷄子,溟涬而含牙。
古には天地が未だ剖さけず、陰陽は分かれず、渾沌たること鶏子たまごの如く、溟涬めいけいとして牙きざしを含む。
と見えて、
>及其清陽者薄靡而爲天,重濁者淹滯而爲地,精妙之合搏易,重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。
其れ清陽な者は薄靡たなびいて天となり、重濁な者は淹滯とどこおって地となるに及ぶ。精妙の合は搏とり易く、重濁の凝は竭つき難い。故に天が先に成って地は後に定まった。然る後に神聖が其の中に生まれたのである。
https://kodakana.hatenablog.jp/entry/2015/12/09/231351
2015-12-09
日本書紀の冒頭を読む
引用についての原文の典拠に近い表現ようなものかまたは類似する文言を指摘する。類書の漢文の手本があったようである。
言葉とは何か。
はじめの言葉ありき、について。
次の引用に宗教的な解釈はとくにしていないようで、言葉は相手に合わせて使うなどという解説もあり、
>アルケーはロゴスなり」は、英語にする時、「アルケー→beginning」「ロゴス→word」とされました。
「In the beginning was the Word」
それが、日本語になった結果、「はじめに言葉ありき」
https://novel-shoten.com/archives/1217
上記は、出版社のこと、その宣伝にある。
>知識を得た、新しいことを知ったら、それをあなたの”行動”にアウトプットしてみてください。「学びを行動に反映する」と言われても、何をすれば良いかわからないという方は、「一言感想をSNSで書いてみる」「とりあえず、この記事をシェアする」などでも良いです。頭の中だけでなく、あなたの行動に変化が表れた時、あなたの人生は変わりはじめます。
(ノーベル書店は「人生を変える出版社」というのをいつも掲げています。)
これを誤解といわれたままに、日本語について、始めに言葉ありきになぞらえた、それは、始めに文字ありき、という日本語の発想である。文字といいながら、じつは漢字であるが、文字というのはそのまま言葉のことであり、そこに漢字が移入されてくるので、漢字を言葉としての文字にとらえることになる。かな文字によってその言葉が日本語となるので、漢字、文字を入れた日本語はここに始まる。
ことばは語源解釈に、ことのは とする、
>コトノハ(言葉)の義。ハ(葉)は言詞の繁く栄えることをいう〔和訓栞〕
この説に従えば、こと という意義がある。
>言葉・詞・辞などの漢字をあてる。コト(言)とハ(端)との複合語とみられる。上代には「事」と「言」、すなわち「事柄」とそれを人間の意志によって対者に伝達しようとする働きである「言語」との区別が、かならずしもはっきり区別されなかったが、コトバなる語が生じて以後、この語はもっぱら「言語」の意を表すようになった。ただし、コトも「言語」の意を表す場合が後世まであり、両者あまり区別なく使われた面もあったらしい。 日本大百科全書(ニッポニカ) 「ことば」の意味・わかりやすい解説 より
すると、こと 言 事 についての分析は、文字にその意味内容を充てる理解として日本語の発想はある。
ことば の ば について、言の葉 の語であるとするなら、これには、清音であって、濁音を用いる現代語の発音はどうしてか。