反対語と習った。そこに反義、類義を知る。対義語と言ったりもするのは、反対の意味がとりにくい場合があるからである、しかし、これには、対になる、つい という用法を修辞に持つため、反義になるとは限らない。さて、高い、低い、と、この反義の例を挙げる。木の高さを思えば、それには高い、低い、低いと並ぶ。浅い、深い、これについてはどうであろう。ため池の水面を見て、浅い、深い、深いとなっていく。先と同様で、逆に言えば、低い、高い、高いとなるから、ここで、高い、についての反義は、深い、ではないかと気づく。それは、低い、については、浅い、となるのであるが、これは、次のようにも見える。高い、深い、同義、または類義である、ということである。たかい、ふかい、そしてまた、ひくい、あさい、この関係を反義と捉えたにもかかわらず、同義、類義となってしまう。言語には同義語が存在することはないが、見方によっては、表現を同一対象に用いる同義がある。さてそれでは、高い、これを気温など、あるいは、値段の高い、というときなどに使うと、その反義はどうかんがえるだろう。
反対語と習った。そこに反義、類義を知る。対義語と言ったりもするのは、反対の意味がとりにくい場合があるからである、しかし、これには、対になる、つい という用法を修辞に持つため、反義になるとは限らない。さて、高い、低い、と、この反義の例を挙げる。木の高さを思えば、それには高い、低い、低いと並ぶ。浅い、深い、これについてはどうであろう。ため池の水面を見て、浅い、深い、深いとなっていく。先と同様で、逆に言えば、低い、高い、高いとなるから、ここで、高い、についての反義は、深い、ではないかと気づく。それは、低い、については、浅い、となるのであるが、これは、次のようにも見える。高い、深い、同義、または類義である、ということである。たかい、ふかい、そしてまた、ひくい、あさい、この関係を反義と捉えたにもかかわらず、同義、類義となってしまう。言語には同義語が存在することはないが、見方によっては、表現を同一対象に用いる同義がある。さてそれでは、高い、これを気温など、あるいは、値段の高い、というときなどに使うと、その反義はどうかんがえるだろう。