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もんじょうけいこく

2015-06-30 | 日本語文章
文章経国は、《魏文帝「典論」論文から》文章は、国を治めるための重大な事業であり、永久に朽ちることのない盛大な仕事である、デジタル大辞泉より、と解説がある。

文章経国は、その読みでは、もんじょうけいこく である。
その意味内容を文学のこととする。

その文学とは何か、凌雲集、文華秀麗集、経国集の勅撰漢詩集に、その名称とするところがあり、このおりに漢詩文集が編まれるので、文選の渡来により、広まった、漢語、漢文、ことばそのものである。

奈良町、平安朝の時代のとらえ方により、貴族の教養にすぎないと済まされることがあるが、中国からの文物の影響は、その時代と、その後の時代に与えた思想としても見る必要がある。

文選の渡来を推古朝 592~628 とみるならば、聖武朝の天宝勝宝三年、751 序のある、その序文に、懐風藻は、文章者経国之大業、不朽之盛事 と、魏文帝の典論の一節を引く。


ウイキペディアより。
文章経国

文章経国(もんじょうけいこく)とは、詩文が作られて文学が栄えることが国家経営の大業につながり、ひいては国家・社会の平和と安定につながるとする政治思想。
魏の初代皇帝となった文帝(曹丕)が著した『典論』の中の1節である「文章経国大業、不朽之盛事」(文学は国を治めるのに匹敵する大事業であり、永遠に朽ちることは無い)に由来し、後に梁の時代に編纂された『文選』に『典論』が採録され(巻52)、『文選』の伝来とともに日本でも知られるようになった。
桓武天皇以後、律令制の再建を目指す中で律令法の母国である中国の文物・制度を再度積極的に取り入れる動きが発生し、嵯峨天皇の弘仁年間に最盛期を迎えた。嵯峨天皇の時代には大学寮においては、漢文学や中国正史を扱う紀伝道の地位向上が図られ、『凌雲集』・『文華秀麗集』・『経国集』の勅撰漢詩集が編纂された。

文選
>『文選』(もんぜん)は、中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集。
>『文選』は古くから日本に伝わり、日本文学にも重大な影響を与えている。すでに奈良時代には、貴族の教養として必読の対象となっており、小島憲之など『日本書紀』や『万葉集』などに『文選』からの影響を指摘する見解もある。その後の平安~室町時代でも、「書は文集・文選」(『枕草子』)、「文は文選のあはれなる巻々」(『徒然草』)とあるように、貴族の教養の書物としての地位を保ち続けた。『文選』の中の言葉は、日本語の語彙で活かされ、故事教訓として現在でも使用されている。



日本国語大辞典より。
文章経国

ぶんしょう は 経国(けいこく)の大業(たいぎょう)不朽(ふきゅう)の盛事(せいじ)
(魏の曹丕の「典論・論文」の「蓋文章経国之大業、不朽之盛事。年寿有時而尽、栄楽止乎其身。二者必至之常期、未若文章之無窮」による)

文学は国を治めるのに匹敵するほどの大事業で、永久に後の世に残る盛事である。文学は不滅で永遠に伝えられること。

*凌雲集〔814〕序「魏文帝有、文章者経国之大業、不朽之盛事」



41. 文章(ぶんしょう)は経国(けいこく)の大業(たいぎょう)不朽(ふきゅう)の盛事(せいじ) デジタル大辞泉
《魏文帝「典論」論文から》文章は、国を治めるための重大な事業であり、永久に朽ちることのない盛大な仕事である。 ...

42. ぶんしょう‐ほう【文章法】 デジタル大辞泉
1 文章を作る方法。文章作法(さくほう)。 2 「文章論2」に同じ。 ...

43. ぶんしょう‐ほう[ブンシャウハフ]【文章法】 日本国語大辞典
〔名〕(1)文章を作る方法。*福翁自伝〔1899〕〈福沢諭吉〉雑記「著訳書に古来の文章法(ブンシャウハウ)を破て平易なる通俗文を用ふる」(2)文の構造・種類など ...

44. ぶんしょう‐れんが[ブンシャウ:]【文章連歌】 日本国語大辞典
〔名〕書簡用語、記録用語を毎句に詠みこんだ連歌。一六世紀頃流行した。

の遅参の春の雨、所存の外に梅や散るらん、かすまずよ如此の月もがな」のよう ...

45. ぶんしょう‐ろん【文章論】 デジタル大辞泉
1 文章に関する論評。文章の主題・構成・文体などを論じるもの。 2 文法論において、文論・構文論・措辞(そじ)論・シンタックスなどの分野をさす語。品詞論に対して ...

46. ぶんしょう‐ろん[ブンシャウ:]【文章論】 日本国語大辞典
〔名〕(1)文章の主題、構想、文体、表現、過程などに関する論。*今の文壇と新自然主義〔1907〕〈島村抱月〉「彼れは脚色論で此れは文章論である」(2)文法論の一 ...

47. 『文章世界』 日本史年表
1906年〈明治39 丙午〉 3・‐ 博文館 『文章世界』 創刊。 ...

48. 文章院 日本大百科全書
平安時代、文章道の学生(がくしょう)の教育機関。834年(承和1)ごろ菅原清公(すがわらのきよきみ)の建議で、大学寮敷地内に創設。東西両曹司(ぞうし)に分かれ、 ...

49. もんじょう‐いん【文章院】 デジタル大辞泉
平安時代の大学別曹。承和元年(834)ごろ、菅原清公の建議により、文章道を学ぶ学生のための施設として設けられた。東西両曹があり、東曹は大江家、西曹は菅原家が管轄 ...

50. もんじょう‐いん[モンジャウヰン]【文章院】 日本国語大辞典
平安京にあった大学寮を構成する紀伝道の建物。文章道を学ぶ学生を教育し、またその一部分を寄宿させたもの。承和元年(八三四)に創設され、東西両曹があり、東曹は大江家 ...

51. もんじょう‐しょう【文章生】 デジタル大辞泉
大学寮で文章道を専攻した学生。もんぞうしょう。もんじょうのしょう。 ...

52. もんじょう‐しょう[モンジャウシャウ]【文章生】 日本国語大辞典
〔名〕古代・中世、大学寮で紀伝道を専攻した学生。天平二年(七三〇)設置。明経生が貴族の子弟に限られていたのに対して、庶人にまで門戸を開いたものであったが、紀伝道 ...

53. もんじょうしょう‐さんい[モンジャウシャウサンヰ]【文章生散位】 日本国語大辞典
〔名〕文章生から諸国の掾(じょう)に任ぜられ(この者を文章生外国という)、その任期が満ちて退官した者。また、その地位。順次に京官に任ぜられることになっていた。* ...

54. もんじょう‐とくごうしょう【文章得業生】 デジタル大辞泉
文章生の中から、成績優秀な者2名を選んで、官吏登用試験の最高段階である秀才・進士試験の受験候補者としたもの。 ...

55. もんじょう‐とくごうしょう[モンジャウトクゴフシャウ]【文章得業生】 日本国語大辞典
〔名〕文章生の中から、成績優秀な者二名を選んで、官人登用試験の最高段階である秀才・進士試験の受験候補者としたもの。天平二年(七三〇)設置。弘仁一一年(八二〇)に ...

56. もんじょう‐どう【文章道】 デジタル大辞泉
律令制における大学寮の一科。中国の詩文および歴史を学ぶ学科。→紀伝道(きでんどう) ...

57. もんじょう‐どう[モンジャウダウ]【文章道】 日本国語大辞典
〔名〕令制下の学制で、大学寮の学科の一つ。また、そこで学ばれた学問。紀伝道の俗称。中国の詩文および歴史を読み、漢詩文を作ることを学ぶ学科。令の官人登用試験の秀才 ...

58. もんじょう の 生(しょう) 日本国語大辞典
「もんじょうしょう(文章生)」に同じ。*源氏物語〔1001〜14頃〕帚木「また文章の生に侍し時かしこき女のためしをなんみ給へし」 ...

59. 文章博士 日本大百科全書
奈良・平安時代の大学寮紀伝道(文章道)の教官。唐名翰林(かんりん)学士。728年(神亀5)に初めて1人が置かれ、730年(天平2)正(しょう)七位下(げ)と定め ...

60. もんじょう‐はかせ【文章博士】 デジタル大辞泉
大学寮に属して詩文と歴史とを教授した教官。神亀5年(728)設置。平安時代には多く東宮学士・大外記(だいげき)を兼ね、侍講としても仕えた。もんぞうはかせ。 ...



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