文章の語は、あや、文様の意味である。文の字は、字通に、
>文身の形。卜文・金文の字形は、人の正面形の胸部に文身の文様を加えた形。文様には×や心字形を用いる。(中略)額に文身を加えたものを顏(顔)という。中国の古代に文身の俗があったことは卜文によって明らかであり、のち呉・越・東方の諸族には、長くその俗が残された。
と、ある。
文について、字通がまとめる、その訓義とするのは、次である。
>
訓義
[1] 文身、通過儀礼として、からだに文様を施す。いれずみ。
[2] あや、まだら、もよう、いろどり、かざり。
[3] あらわれ、すじ、みち。
[4] もじ、ふみ、ことば。
[5] みやびやか、文徳。
[6] 学問、技芸。
(以下略)
古辞書の訓
〔名義抄〕 ヒカリ・カザル・モトロク・モトロカス・フミ・アヤ・オゴク・マダラ・ウルハシ
〔字鏡集〕 ヒカリ・マダラク・オモフ・マダラ・ウルハシ・アヤ・モトロク・オゴク・フミ・カザル・ヱガク
さらに字通の文について、その熟語に、文章について、次のように見える。
【文章】ぶんしよう(しやう) あやがあること。制度文物のすぐれていること。内面の徳が威儀にあらわれること。また、文辞。表現。魏・文帝〔典論、論文〕蓋(けだ)し文章は經國の大業、不朽の盛事。年壽は時有りて盡き、榮樂は一身に止まる。二者は必至の常期有り、未だ文章の無窮なるに如(し)かず。
以上は、http://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=200300599200000 cited:20150701
日本国語大辞典は、文の項目に、 >(1)外見を美しく見せるためのかざり。もよう。あや。 をまず挙げて、(2)には、次のようである。その用例とする古事記には注意すべきである。
>
文章。また、詩文。転じて、それらを集めた書物。
*古事記〔712〕序「(1)外見を美しく見せるためのかざり。もよう。あや。」
その文について、同じく日本国語大辞典は(8)の項に、次のように見える。
>
(8)文法上の言語単位の一つ。文章・談話の要素。単語または文節の一個または連続で、叙述・判断・疑問・詠歎・命令など話し手の立場からの思想の一つの完結をなすもの。定義には諸説ある。西洋文法では、主語・述語を具えることが文成立の条件とされることがあるが、日本文法では必ずしもそれによりがたい。文章。センテンス。
*広日本文典〔1897〕〈大槻文彦〉四九二「言語を書に筆して、其思想の完結したるを、『文』又は、『文章』といひ、未だ完結せざるを『句』といふ」
*草野氏日本文法〔1901〕〈草野清民〉文法篇・二「文又は文章と称するものは、必ず二個以上の詞の集合したる者にて、意義完全なる説話の躰を具へ、且、其示す所の意に従って語調の円満に完結せる者をいふ」
文の語義に、文法用語としての意味内容を加え、定義をするところを記述する。
次いで、章の字は、字通に、>字訓 あきらか・あや・しるし とあって、字形について、次のように記す。
>入墨の器である辛(しん)(針)の針先の部分に、墨だまりを示す肥点を加えた形。これによって入墨を行う。その文身の文彩あるものを文章といい、その美しさを〓彰(ぶんしよう)という。 筆者注:〓は、文の偏に、旁は三を書く。
そして、文と章とに現れる意義について、次のようである。
>入墨は刑罰の他にも、通過儀礼として、社会生活上の身分的なしるしとして多く用いられた。それで章明・喪章の意より、章程・憲章をいい、また詩文の章節・楽章の意となる。文(文)が文身の意より文雅・文章の意となったように、章も入墨の意から諸義が展開する。その展開の過程は、両者に似たところがある。
章について、字通がまとめる訓義は、次のようである。
>
訓義
[1] あきらか、入墨の器で入墨すること、その入墨の美しいこと。
[2] あらわれる、あや、あきらかにする。
[3] しるし、くぎり、きりめ、ほど、てほん、のり。
[4] 詩文の一節、楽曲の一節、てがみ。
[5] しるしのはん、印章、おしで。
古辞書の訓
〔名義抄〕章 アキラカニ・アキラカナリ・ナル・アゲツラフ・タダス・ホドコス・トトノフ・ノリ・メグル
なお、同様の論考に、文化の語義ではあるが、次を検索し得た。
>
文化の本質に関する一考察 - 新潟大学
dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/.../1/17_47-55.pdf
by 兪慰剛 - 2012
... がないようである。 このたび新潟大学で一年間教鞭をとる機会に恵まれ、しかも担当する科目のほとんどは直 ..... その一は“外見を美しく. 見せるための飾り。もよう。あや”である。その二は“文書、詩文。転じてそれらを集め. た書物”である。その三は“文学。学問 ...
>文身の形。卜文・金文の字形は、人の正面形の胸部に文身の文様を加えた形。文様には×や心字形を用いる。(中略)額に文身を加えたものを顏(顔)という。中国の古代に文身の俗があったことは卜文によって明らかであり、のち呉・越・東方の諸族には、長くその俗が残された。
と、ある。
文について、字通がまとめる、その訓義とするのは、次である。
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訓義
[1] 文身、通過儀礼として、からだに文様を施す。いれずみ。
[2] あや、まだら、もよう、いろどり、かざり。
[3] あらわれ、すじ、みち。
[4] もじ、ふみ、ことば。
[5] みやびやか、文徳。
[6] 学問、技芸。
(以下略)
古辞書の訓
〔名義抄〕 ヒカリ・カザル・モトロク・モトロカス・フミ・アヤ・オゴク・マダラ・ウルハシ
〔字鏡集〕 ヒカリ・マダラク・オモフ・マダラ・ウルハシ・アヤ・モトロク・オゴク・フミ・カザル・ヱガク
さらに字通の文について、その熟語に、文章について、次のように見える。
【文章】ぶんしよう(しやう) あやがあること。制度文物のすぐれていること。内面の徳が威儀にあらわれること。また、文辞。表現。魏・文帝〔典論、論文〕蓋(けだ)し文章は經國の大業、不朽の盛事。年壽は時有りて盡き、榮樂は一身に止まる。二者は必至の常期有り、未だ文章の無窮なるに如(し)かず。
以上は、http://japanknowledge.com/psnl/display/?lid=200300599200000 cited:20150701
日本国語大辞典は、文の項目に、 >(1)外見を美しく見せるためのかざり。もよう。あや。 をまず挙げて、(2)には、次のようである。その用例とする古事記には注意すべきである。
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文章。また、詩文。転じて、それらを集めた書物。
*古事記〔712〕序「(1)外見を美しく見せるためのかざり。もよう。あや。」
その文について、同じく日本国語大辞典は(8)の項に、次のように見える。
>
(8)文法上の言語単位の一つ。文章・談話の要素。単語または文節の一個または連続で、叙述・判断・疑問・詠歎・命令など話し手の立場からの思想の一つの完結をなすもの。定義には諸説ある。西洋文法では、主語・述語を具えることが文成立の条件とされることがあるが、日本文法では必ずしもそれによりがたい。文章。センテンス。
*広日本文典〔1897〕〈大槻文彦〉四九二「言語を書に筆して、其思想の完結したるを、『文』又は、『文章』といひ、未だ完結せざるを『句』といふ」
*草野氏日本文法〔1901〕〈草野清民〉文法篇・二「文又は文章と称するものは、必ず二個以上の詞の集合したる者にて、意義完全なる説話の躰を具へ、且、其示す所の意に従って語調の円満に完結せる者をいふ」
文の語義に、文法用語としての意味内容を加え、定義をするところを記述する。
次いで、章の字は、字通に、>字訓 あきらか・あや・しるし とあって、字形について、次のように記す。
>入墨の器である辛(しん)(針)の針先の部分に、墨だまりを示す肥点を加えた形。これによって入墨を行う。その文身の文彩あるものを文章といい、その美しさを〓彰(ぶんしよう)という。 筆者注:〓は、文の偏に、旁は三を書く。
そして、文と章とに現れる意義について、次のようである。
>入墨は刑罰の他にも、通過儀礼として、社会生活上の身分的なしるしとして多く用いられた。それで章明・喪章の意より、章程・憲章をいい、また詩文の章節・楽章の意となる。文(文)が文身の意より文雅・文章の意となったように、章も入墨の意から諸義が展開する。その展開の過程は、両者に似たところがある。
章について、字通がまとめる訓義は、次のようである。
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訓義
[1] あきらか、入墨の器で入墨すること、その入墨の美しいこと。
[2] あらわれる、あや、あきらかにする。
[3] しるし、くぎり、きりめ、ほど、てほん、のり。
[4] 詩文の一節、楽曲の一節、てがみ。
[5] しるしのはん、印章、おしで。
古辞書の訓
〔名義抄〕章 アキラカニ・アキラカナリ・ナル・アゲツラフ・タダス・ホドコス・トトノフ・ノリ・メグル
なお、同様の論考に、文化の語義ではあるが、次を検索し得た。
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文化の本質に関する一考察 - 新潟大学
dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/.../1/17_47-55.pdf
by 兪慰剛 - 2012
... がないようである。 このたび新潟大学で一年間教鞭をとる機会に恵まれ、しかも担当する科目のほとんどは直 ..... その一は“外見を美しく. 見せるための飾り。もよう。あや”である。その二は“文書、詩文。転じてそれらを集め. た書物”である。その三は“文学。学問 ...