重言と言った。いまのこれを重言とするか。じゅうごん じゅうげん 読みはどうか。いま、二重表現というらしい。
>浄瑠璃、鑓の権三重帷子「竜の駒にもけつまづき、馬から落ちて落馬いたしたと、片言やら―やら」
広辞苑の用例、じゅうごんに、馬から落ちて落馬とみえる。いにしえの昔の武士の侍が、と唱えたものだった。重複表現だとする和語と漢語の取りまぜである。
あるいは漢語では畳語としての修辞もある。
「いにしえのさむらいが山中で落馬して婦人に笑われ赤面し帰宅して、仏前で短刀で切腹した」⇔「いにしえの昔の武士のさむらいが 山の中なる山中で 馬から落ちて落馬して 女の婦人に笑われて 赤い顔して赤面し 家に帰って帰宅して 仏の前の仏前で 短い刀の短刀で 腹を切って切腹した」
正しく言うとわかりやすさのために繰り返す、注釈するようなもので、話しことばでは、ことさらに上げ足をとるうなことでもない。むしろ文章表現で読みを通して目につくので避けようとする。そうした文章があくまで芸術性からの観点で評価された、というと大仰に聞こえようが、簡潔な文章を書くとの謂いである。
重言、二重表現、重複表現、そしてまた、畳語と、どれもちがいのあるところ、ほかの表現法がわからないところで、聞こえ良いのか二重表現という言い方になっている。、
話しをして、漢字音の言葉を分かりにくいと、すぐさま言い換えてみるということで、カタカナを用いて漢字語に直しさらに和らげるというようなこともある。耳で聞く言葉の洗練を求めれば重言は効果を持つ用法ともなる。
ことばの広場
langsquare.exblog.jp
ことば (52) 重複表現 (tautology)
松野町夫(翻訳家)
>家庭訪問に来た先生と生徒との玄関先での会話:
先生: お母さん、いらっしゃる?
生徒: 母は、病気のため病院に入院しています。(=母は入院しています。)
入院は病気の人が治療のために病院に入ることなので、「病気のため病院に」がなくても全然不都合はない。「母は入院しています」というだけで十分なのだが、しかし会話では、この程度の重複ならほとんど気にならず、それどころか、多少、重複があった方がわかりやすい。重複表現は、会話の潤滑材として機能する場合もある。