コラムに、日経記事 大機小機 ホモデウスの話題を読んでいて、ディストピアの語が注意を引いた。それは、>ビッグデータの集中管理やAIによって人々の生活を統制する巨大な格差社会というディストピア、である。そこには命題、>すべての存在者は可謬(かびゅう)的(=間違える可能性がある)である、という、政治哲学の現われがあり、為政者の無謬性と対比される。及ぶのは、すべてのAIによるもの、ホモデウスとは、そのいずれにあるかを考えさせられる。
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190202&ng=DGKKZO40813520R00C19A2EN2000
大機小機
ホモ・デウスと人類の未来
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歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏の話題の書「ホモ・デウス」は、人工知能(AI)などの新しいテクノロジーの発展によって、人類は「超人類(ホモ・デウス)」にアップグレードされていく、というビジョンを示す。ハラリ氏は、新しいテクノロジーの利益を享受する一部の富裕層だけが超人類に進化するものの、残りの大多数は現生人類のまま取り残され、超人類によって自然淘汰されるかもしれないという。
このようなディストピア(反理想郷)は現実になるか。20世紀にナチスが生まれたように、どのような技術水準でもディストピアが生まれる可能性はある。だが、そのような政治の暴走を抑制していたのは、自由や民主主義に価値をおく政治哲学が広く指導者や庶民に共有されたからではないか。社会の共通善についてのコンセンサスや政治的意思決定の作法の共有によって、あからさまな暴力による支配は抑制されてきた。
ハラリ氏の著書の流行が示すように、旧来の我々の政治哲学が新しい技術に対応できなくなっているため、世界に不安が広がっている。必要なのは、我々の自由や民主主義や持続性を確保してくれるような「新しい政治哲学」を見つけ、確立することだ。
新しい政治哲学のキーワードは「すべての存在者は可謬(かびゅう)的(=間違える可能性がある)である」という事実だと思われる。ビッグデータの集中管理やAIによって人々の生活を統制する巨大な格差社会というディストピアは、為政者の「無謬性」を前提としたシステムである。無謬の理論が現実と食い違ったとき、体制は破綻する。
人間の科学も、深層学習で進化するAIの知識も、あくまでも暫定的な知である。すべての科学的真理は、将来に「間違っていた」と証明される可能性を常に有するという意味で「可謬性」を持つ。人間やAIの知が可謬的である以上、社会の持続を維持するには、個々人または複数の独立したAIが試行錯誤によって学習する自由を保障することが必要になる。
為政者を含めたすべての人々(およびすべてのAI)の可謬性を前提とすれば、新しい政治哲学は人間の自由の保障を最優先するものになるのではないか。ホモ・デウス的なディストピアは回避できるはずである。
(風都)
ユヴァル・ノア・ハラリ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ユヴァル・ノア・ハラリ
ユヴァル・ノア・ハラリ (ヘブライ語: יובל נח הררי 、英: Yuval Noah Harari、1976年2月24日 - )は、イスラエルの歴史学者。ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授 。世界的ベストセラー『サピエンス全史』、『ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来』の著者。
【特別公開】『ホモ・デウス』2018年9月刊行へ向けて、ユヴァル・ノア・ハラリ ...
web.kawade.co.jp/bungei/2137/
2018/07/27 - ユヴァル・ノア・ハラリです。私の新著『ホモ・デウス』について紹介したいと思います。私の前著『サピエンス全史』では、集合的神話――神や人権、貨幣など――を信じる私たちのユニークな能力が、どのようにして私たちがこの惑星地球を征服
業務があったころ足かけ40年にもなる業務に、解放された。マル秘のこと、守秘義務とやらがあれば、それはもう17年も前のことだから、それはないが、大学院時代の予備校から全国模試とやらにかかわっていて、......