1214 年は、みのり。稔となると、熟穀で、トシの十分なことか。その、トシは稲、イネの別称というから、いつからそうなのか。歳は、サイと読む。この字は歩むところにまさかりとあわせて会意となった。年歳、歳祭と収穫に及ぶ思いがあったのか。トシとなる稔と歳には農耕社会の日本語が上書きされたか、それにしても字面では実りを旺盛にみるか、その歩みを止めてしまうか、年月のままならぬこともあるようであるから、大祭のあるかなきかは千歳を祝うことになろう。ねんねんさいさい、とうたえば、花の姿に同じ、さいさいねんねん、とうたえば、人の歳は尽きると思うものなのである。
年、歳を重ねて実る穂の、垂れ穂にわが想いを寄せて、やがてに、年は繰り返せども歳は尽く。
>「年」にとって重要だったのは、「穀物が実る」意味から「とし」の意味へと変化したことでしょう。
https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0479/
漢字講座 年(とし、ねん)
>漢字が生まれた中国黄河流域、河南地方はムギやアワが作物でイネはありません。でも穀物の一番よいものを嘉禾といい、イネのことだとします。漢字を作った殷の人がイネを南方の長江流域から取り寄せていたことを物語ります。それで、年という字は「みのる みのり」と訓じます。年の一字で穀物を表します。穀物は一年かけて成長し、一年に一回成熟するので、年は正月元旦から十二月大晦日までの三六五日の一年の「とし」を示します。
http://haijimadaishi.com/nyoirin
時事ニュースにーー
ややこしいことである、おかしなことである、いただいておきながらそのままにしたがうことなく、いつのまにかあれこれと何かを言い出すというのは統治がならないことと繰り返される歴代にくりかえされたことである。
元首が獄につながる宿世は何を意味するのだろう。それこそお墨付きというのを得られなくなってしまって元首の承認を民衆の手でもてあそび転がしてはポイとしてしまうようにも見える。
あの一斉のカードのトーンぞろいにシュプレヒコールは統治には向けられないから、大衆にみえてその民衆がすなわち分衆されているのだろう。
こうなっては混乱をこねくりまわすことのもとはどこにあるかをみきわめるのがむずかしい。
>戦時や自然災害、暴動等の緊急事態において兵力をもって国内外の一地域あるいは全国を警備する場合に、憲法・法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の指揮下に移行することをいう。 軍事法規のひとつであり、戒厳について規定した法令を戒厳令(英語: martial law)という。 ウイキペディアより