哲学
2013-07-08 | 日記
この難しい語はその内容をもたない。
あるのはその行為である。
その行為とは何を指すか、哲という字が表すところのものである。
哲学が翻訳語でありどのような語であるかはその概念を哲学の原語である愛知、愛哲にして考えてみるとわかる。
>
科学哲学 - 科学について検討するもの。
物理学の哲学 - 空間、時間、物質など物理学で用いる基本概念など、物理学について検討するもの。
数学の哲学 - 数学について検討するもの。
論理学の哲学 - 論理学について検討するもの。
言語哲学 - 言語とは何か、言語の意味や形式や言語と真理の関係、などを検討するもの。
分析哲学 - 論理的言語分析の方法に基づいて、哲学の諸問題を検討するもの 。
倫理学 - 倫理・道徳について検討するもの。
生命倫理学 - 医療行為、環境破壊、死刑など生命にまつわる物事について、その善悪をめぐる判断やその根拠について検討するもの。
美学 - 美、芸術、趣味について検討するもの。
心身問題の哲学 - 人間の意識や心と身体の関係、自由意志の有無などについて検討するもの。
法哲学 - 法について哲学的に検討するもの。
政治哲学 - 政治、様々な統治の様態にはじまり、政治的正義、政治的自由、自然法一般などについて検討するもの。
戦争哲学 - 戦争について考察するもの。
歴史哲学 - 歴史の定義、客観性についての考察、記述方法などを行う。
宗教哲学 - 神の存在等、宗教的概念について検討するもの。
教育哲学 - 教育の目的、教育や学習の方法について検討するもの。
哲学史 - 哲学の歴史的な変遷を研究するもの。
それぞれの哲学をまたいで存立するような分野として、方法論、認識論・知識論、意味論、経験論、行為論などがある。
いずれにしてもこの語の起源については日本語では近代の時期からさかのぼることはないしほかの語を求めて概念を当てようとしてそれはない。
哲学が日本にないと言うのは歴史的に哲学の伝統をもたなかったかと言うと、哲学の行為はあったに相違ないので哲学と言う語が日本になかったと言うべきであろうか。
哲学の歴史を眺めて日本哲学とするものは近世までに見当たらないとするか、ほかのなにかをもって置き換えようとするか、哲学の行為をそれで表現するとどうなるであろう、それで、とは、たとえば儒学であり国学であるし、宗教の生き方を求めれば仏教哲学とでもいう諸々である。
哲学が言葉としてないというとき、それは日本語のことばが何であるかを哲学することになるが、その哲学は日本語を言葉の行為とすることになる。
哲学という翻訳を哲学と言う語から求めて解釈する。
そのプロセスはあるようだが結局は哲字が何であり哲学が何を意味しているかということになる。
哲学には決して一定の対象というものは存在しない、対象によって規定できる学問ではない、philosophy、愛知の学とでも呼ぶしかない、と説明がある。その解説によれば、テーマがあって次のようである。
主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩などとして、一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念だと述べる。
これを愛する知のテーマとしさらには哲学するとどうなるかというのは、主題について論じてそれは、定義、性質、複数の立場と見解の間の整理などがあって、これを存在論とよぶというわけである。
また高貴な生き方とは存在するのか、あるとしたらそれはどのようなものなのか、善とは永遠と関連があるものなのか、といった問いかけで、神学や科学的な知識、実験では論理的な解答を得られない問題を扱うのを価値論とする。
さてその語であるが、日本語になるプロセスは、次のようである。
>日本における、哲學、希哲の学という訳語
明治初期に西周、にしあまね、によって作られた表現
哲学の初出は西周の、百一新論、1874年、明治7年
北宋の儒学者、周敦頤の、通書、志學第十、士希賢、士は賢をこいねがう、との文言があり、希哲学の語が生まれ
中国西学が<Philosophy>の訳語として転用
西は採用し、さらにこれを変形させて、希の省略、哲学とした
と、なるようであるが希哲学の語について中国西学が訳語としての転用があったと言うのは何だろう。
哲字については、次のようである。
>哲は明らか、明、事理に明らか、さとし、敏、知る、ものしり、
賢人・知者の意味がある
会意文字で口+折(音符)
折は一刀両断すること
そして哲学という訳語は、現在中国でも使われていると言う。
その語源は、次のようである。
>古希: φιλοσοφία(philosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語
愛智という意味
希: philein 愛する 希: sophia 知恵、知、智が結び合わさったもの
元来、philosophia には 知を愛する 智を愛する という意味が込められている
>学派、特徴的な哲学上の立場
古代ギリシア哲学
自然哲学
形而上学
実念論
唯名論
大陸合理主義
イギリス経験論
ドイツ観念論
超越論的哲学
思弁哲学
生の哲学
現象学
実存主義
解釈学
新カント派
論理実証主義
構造主義
プラグマティズム
大陸哲学
>特定の学者や学者群に限定されない、立場
存在論
実在論
観念論
決定論
宿命論
機械論
相対主義
二元論
一元論
独我論
懐疑主義などがある。
以上は、フリー百科事典ウイキペディアを参考にした。
あるのはその行為である。
その行為とは何を指すか、哲という字が表すところのものである。
哲学が翻訳語でありどのような語であるかはその概念を哲学の原語である愛知、愛哲にして考えてみるとわかる。
>
科学哲学 - 科学について検討するもの。
物理学の哲学 - 空間、時間、物質など物理学で用いる基本概念など、物理学について検討するもの。
数学の哲学 - 数学について検討するもの。
論理学の哲学 - 論理学について検討するもの。
言語哲学 - 言語とは何か、言語の意味や形式や言語と真理の関係、などを検討するもの。
分析哲学 - 論理的言語分析の方法に基づいて、哲学の諸問題を検討するもの 。
倫理学 - 倫理・道徳について検討するもの。
生命倫理学 - 医療行為、環境破壊、死刑など生命にまつわる物事について、その善悪をめぐる判断やその根拠について検討するもの。
美学 - 美、芸術、趣味について検討するもの。
心身問題の哲学 - 人間の意識や心と身体の関係、自由意志の有無などについて検討するもの。
法哲学 - 法について哲学的に検討するもの。
政治哲学 - 政治、様々な統治の様態にはじまり、政治的正義、政治的自由、自然法一般などについて検討するもの。
戦争哲学 - 戦争について考察するもの。
歴史哲学 - 歴史の定義、客観性についての考察、記述方法などを行う。
宗教哲学 - 神の存在等、宗教的概念について検討するもの。
教育哲学 - 教育の目的、教育や学習の方法について検討するもの。
哲学史 - 哲学の歴史的な変遷を研究するもの。
それぞれの哲学をまたいで存立するような分野として、方法論、認識論・知識論、意味論、経験論、行為論などがある。
いずれにしてもこの語の起源については日本語では近代の時期からさかのぼることはないしほかの語を求めて概念を当てようとしてそれはない。
哲学が日本にないと言うのは歴史的に哲学の伝統をもたなかったかと言うと、哲学の行為はあったに相違ないので哲学と言う語が日本になかったと言うべきであろうか。
哲学の歴史を眺めて日本哲学とするものは近世までに見当たらないとするか、ほかのなにかをもって置き換えようとするか、哲学の行為をそれで表現するとどうなるであろう、それで、とは、たとえば儒学であり国学であるし、宗教の生き方を求めれば仏教哲学とでもいう諸々である。
哲学が言葉としてないというとき、それは日本語のことばが何であるかを哲学することになるが、その哲学は日本語を言葉の行為とすることになる。
哲学という翻訳を哲学と言う語から求めて解釈する。
そのプロセスはあるようだが結局は哲字が何であり哲学が何を意味しているかということになる。
哲学には決して一定の対象というものは存在しない、対象によって規定できる学問ではない、philosophy、愛知の学とでも呼ぶしかない、と説明がある。その解説によれば、テーマがあって次のようである。
主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、色彩などとして、一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念だと述べる。
これを愛する知のテーマとしさらには哲学するとどうなるかというのは、主題について論じてそれは、定義、性質、複数の立場と見解の間の整理などがあって、これを存在論とよぶというわけである。
また高貴な生き方とは存在するのか、あるとしたらそれはどのようなものなのか、善とは永遠と関連があるものなのか、といった問いかけで、神学や科学的な知識、実験では論理的な解答を得られない問題を扱うのを価値論とする。
さてその語であるが、日本語になるプロセスは、次のようである。
>日本における、哲學、希哲の学という訳語
明治初期に西周、にしあまね、によって作られた表現
哲学の初出は西周の、百一新論、1874年、明治7年
北宋の儒学者、周敦頤の、通書、志學第十、士希賢、士は賢をこいねがう、との文言があり、希哲学の語が生まれ
中国西学が<Philosophy>の訳語として転用
西は採用し、さらにこれを変形させて、希の省略、哲学とした
と、なるようであるが希哲学の語について中国西学が訳語としての転用があったと言うのは何だろう。
哲字については、次のようである。
>哲は明らか、明、事理に明らか、さとし、敏、知る、ものしり、
賢人・知者の意味がある
会意文字で口+折(音符)
折は一刀両断すること
そして哲学という訳語は、現在中国でも使われていると言う。
その語源は、次のようである。
>古希: φιλοσοφία(philosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語
愛智という意味
希: philein 愛する 希: sophia 知恵、知、智が結び合わさったもの
元来、philosophia には 知を愛する 智を愛する という意味が込められている
>学派、特徴的な哲学上の立場
古代ギリシア哲学
自然哲学
形而上学
実念論
唯名論
大陸合理主義
イギリス経験論
ドイツ観念論
超越論的哲学
思弁哲学
生の哲学
現象学
実存主義
解釈学
新カント派
論理実証主義
構造主義
プラグマティズム
大陸哲学
>特定の学者や学者群に限定されない、立場
存在論
実在論
観念論
決定論
宿命論
機械論
相対主義
二元論
一元論
独我論
懐疑主義などがある。
以上は、フリー百科事典ウイキペディアを参考にした。