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日本語教育史(19)  漂流民と魯西亞、ドイツ発信

2013-07-08 | 日本語教育の歴史
日本語教育史(19)  漂流民と魯西亞、ドイツ発信

ドイツ人、クラブロート 1783‐1835 は、新アジア誌三 に記している。
1829年に発表、日本における漢字用法の入門及び日本仮名諸体の起源について より。

日本漁民の漂流してカムチトカに着し、次いでイルクーツクに送らるるや、カタりーナ女帝は之を利用して同地に航海学校を設け之に日本語学の講座を置きたりこの講座は多分今1829年なお存在せるなるべし、教職にあるは常に一人の日本人いして若干の露国少年に其国語を授く、117ページ、というふうに述べている。

さらには、ここに伊勢の新蔵が、1805年から1806年に至る、クラブロートの滞在中に、教職にあって、このときに早引節用集を手に入れて、日本語を習いこの辞書を抜粋してドイツ語に訳したと記している。

なおクラブロートは、アジア言語誌、1823年において、日本語の系統を論じてウラル・アルタイ諸語に属することを提唱しているそうだ。
魯西亞、ドイツ発信の日本語研究が始まり、漂流民が深くかかわっていることがわかる。


19世紀魯西亞の日本語研究の最大の成果を、ゴシケヴッチと橘耕斎の、倭魯通言比考、1857年刊行であると、この書、西洋人の日本語発見で述べている。127ページ。これは世界最初の、日魯辞典である。
耕斎は鎖国日本から脱出し、帰化して、ウラジミール・イオンヴッチ・ヤマトフと名乗った。

1857年、オランダ人 D.クルチウス 日本文法試論 の刊行があり、日本語研究史で特筆すべきが、もう一つの
1857年、ゴシケヴッチと橘耕斎 倭魯通言比考  である。

倭魯通言比考 序文
1)二つの日本語
2)漢字・仮名
3)音
4)文章
5)ヨーロッパにおける日本語研究
6)倭魯通言比考成立の事情




 



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