連休になる。秋分の日。季節を分けるとは、春と秋だけになる。そうであるかと、節分があった。そして夏至、冬至の日時空を分ける人間の営みである。日のながさを測って、その影である時間とそうでない時間が同じになることを見つけ出す、そういうことであったか。あるいは日の傾きを捉えたか。それは途方もない作業であるから、気象と天文は人智の業、術となる。
聞けば日本語クラブだという。それは、活動はどんな風にして、その目的はと問えば、初心者の日本語学習にボランティアをしているそうである。初級の日本語を話して教える、と聞くと、何かを思い出す。案内をしてくれた学生が、会話巧みに、いろいろ話すので、日本語の先生はだれかと聞いてみたら、日本語を学ぶ仲間だという。そうであったか、日本語のクラブで覚えている。すばらしいことだ!
日本語学習の人気はどうか。増える、減るという動向が話題となるのが常であるが、いま、また増えているとか。良き教え手がない、増えるのに教師が不足のこと、これはいつも繰り返して来ている。外国語を習得して身を立てる時代が変わりつつあるのか。経済の拠って来るところ、その関係は一通りのことがあった。そしてつぎの時代の需要は交流の定着であるから、必要が異なる。どうなっていくか。
滞在7日になる。日のたつのは早いものである。講座をして、あとは観光をした。連休になる合間に飛んできて帰る。目的は果たしたか、お役に立ちたいとやってきて、1年になる準備で、再会をした4年ぶりのこと、有り難い。南京の街になれたころ、帰国する。すると日をおかずして授業が始まる。
懐かしい、思い出の南京である。江蘇省の発展は激しい変化がありそうだから、揚子江にかかる眼橋には何が計画されているだろうと思う。断片のうちにある中国との関わりには日本語教育がある。1978年まで遡って、2018年と、ああもう40年を迎える。研究留学生に日本語指導をして、そのスタートに、進修生を迎えるプログラムを計画、実行してから、研究者、さらに大学院生の日本語指導を続けて、博士学生の指導を行った。長い道のりであった。
聞けば日本語クラブだという。それは、活動はどんな風にして、その目的はと問えば、初心者の日本語学習にボランティアをしているそうである。初級の日本語を話して教える、と聞くと、何かを思い出す。案内をしてくれた学生が、会話巧みに、いろいろ話すので、日本語の先生はだれかと聞いてみたら、日本語を学ぶ仲間だという。そうであったか、日本語のクラブで覚えている。すばらしいことだ!
日本語学習の人気はどうか。増える、減るという動向が話題となるのが常であるが、いま、また増えているとか。良き教え手がない、増えるのに教師が不足のこと、これはいつも繰り返して来ている。外国語を習得して身を立てる時代が変わりつつあるのか。経済の拠って来るところ、その関係は一通りのことがあった。そしてつぎの時代の需要は交流の定着であるから、必要が異なる。どうなっていくか。
滞在7日になる。日のたつのは早いものである。講座をして、あとは観光をした。連休になる合間に飛んできて帰る。目的は果たしたか、お役に立ちたいとやってきて、1年になる準備で、再会をした4年ぶりのこと、有り難い。南京の街になれたころ、帰国する。すると日をおかずして授業が始まる。
懐かしい、思い出の南京である。江蘇省の発展は激しい変化がありそうだから、揚子江にかかる眼橋には何が計画されているだろうと思う。断片のうちにある中国との関わりには日本語教育がある。1978年まで遡って、2018年と、ああもう40年を迎える。研究留学生に日本語指導をして、そのスタートに、進修生を迎えるプログラムを計画、実行してから、研究者、さらに大学院生の日本語指導を続けて、博士学生の指導を行った。長い道のりであった。