燕子崎、崎は正しくは几きが旁になる。揚子江をまた、見にでかけた。北から、南から、さらになかへと、悠然とした時間がある。大きなタンカーが行き交う。下れば蘇州、上海、上れば重慶、成都を結ぶ。南京市民おの浄水場はきのうでかけて、生命の水に、運搬船はまさに古くからの重要航路にある。紅葉かと思ったら、紅風残照は、紫紅岩に映える夕陽であった。
燕子磯という地名だそうだが、そこに来て揮毫したのが乾隆帝であると、御碑亭がそびえる。酒樽石によって岸壁を感じると、まさに切り立っている。
達磨古洞に登った。伝承が論争だそうである。達磨は南京に来たのか。どうもいかがわしいらしい。揚子江を渡って、何処へやらというところで、葺をつかって、武術に長けている達磨さんが渡河をした、となるような、これでは足跡が辿れない。小高い丘に登って祠にたどり着く。そこから下りて、ひょいと揚子江が見える。木立に挟まれて遠景は一幅の絵となる。
燕子磯という地名だそうだが、そこに来て揮毫したのが乾隆帝であると、御碑亭がそびえる。酒樽石によって岸壁を感じると、まさに切り立っている。
達磨古洞に登った。伝承が論争だそうである。達磨は南京に来たのか。どうもいかがわしいらしい。揚子江を渡って、何処へやらというところで、葺をつかって、武術に長けている達磨さんが渡河をした、となるような、これでは足跡が辿れない。小高い丘に登って祠にたどり着く。そこから下りて、ひょいと揚子江が見える。木立に挟まれて遠景は一幅の絵となる。