日本語文法論議23101
日本語は漢語訓読を句法に学び、英語文法を模範とすべく、句法の欠を補おうとしてきたように見える。そして、なんと大主語のみならず、主格主語を否定してしまおうと、文の規定を揺らぎにまかせ、文そのものを議論できなくしている。それは、そういう言語学の議論の流れにあわせ日本語文法を組み立てようとして見えなくしてしまった、流行の記述文法とコーパス処理に議論をゆだねているからである。
言語の対照に異同の同に合わせるので、かえって異が見えない。異同があると言う本来は異を唱えてその異のあるところを分かることに同とする議論がある。テンスと時制は同じか、時の表現は異なるので、それを知ればまずテンスに当てはめることはしない。ましてアスペクトには動詞相が異なるからその語構成を見直すことになる。モダリティーとは表現者の意図にして話法にあることである。
日本語文法と言い、日本語の由来は、文法となるものは、言葉と言語の違いには、日本語のアイデンテティーなるものの探求である。