JPG 続々の続
日本語教育用の文法が中国の予備教育に移入していく、そのような思い出だ。
世にいう大平学校が始まってその教科書のことだった。おそらくわたしが迎えた中国の教育部派遣の日語教師がその会議にいて、そこでの経過をもらしたものだ。古い話だから、もう許されるだろうか。東北師範大の赴日留学生の予備教育は地域もさることながらそのままの日本語で教えているということだった。そのままの日本語とは大学で行われる、地方で聞くことのある、普通に日本人が話すというようなことだ。それは緯度の同じ地域を選んで派遣学生たちが寒さに耐えるというような話もあったから、どこまでが培訓であったろう。
さらにこのJFTの文法説明は文型教育に適していたので、その会議では教え方がわからないということだったらしいが、わたしの説明で理解されたか、もうひとりの大連外語学院の日語教師によって、中国に持ち帰ってのあらたな展開をする。1979年から1980年の1年間の研修を果たし帰国したが、その後、1984年に中国に訪ねたときにテレビ用の語学講座のテキスト、日語にその文法ステップが採用されていたことを知った。研修の成果を実現したと、4冊になる構成はその教え方であった。わたしが大連を訪問したときに教えてくれた。
日本語教育用の文法は日本語学習に表され、応用されているという実感だ。そのステップはあくまで学習の便宜のためであり、ひとつに見るような文法体系でもない。しかしそれぞれに教育と学習を実現しているので、研究されるところはすすめられていたことだろう。外国語としての日本語であり、日本語教育の日本語である。
日本語文法を国内での国語に照らして考えるのと、海外で日本語としてみるのではおのずと違ってくる。それは文法理論を背景とするとするなら、国語はたとえば橋本文法で考えて文節を分析とするか、それはまた学校文法に国語の捉え方になった。知る人ぞ知る時枝文法で書かれた入れ子型の文法解説書もあったのであるから、それはまた言語過程説によるとするか、教科文法はほかにも学説によって実現していた。品詞の分類尾を見てもそれはすぐに理論によって違ってくる。
翻って日本語教育文法はその教育用から解説するところで、ひとつの例を動詞の種類で上げてみて、いくつかの分類と名称を持つ。母音幹動詞と子音幹動詞、-ru動詞と-u動詞、規則変化動詞の強変化と弱変化、第1グループと第2グループ、5段動詞と1段動詞と、それぞれの説明によってこのようになる。これはその名称に沿ってわかりよくなるのである。
が、ここに第1と第2の名付けがその説明によって逆になるものもあった。CMJの教科書では第1グル―はいまの母音幹であり、弱変化規則動詞になって、その次の第2グループに相当するものであった。その教科書の作成者にきいてみたところ、やさしい変化をさきにするという考え方だとわかった。段階的難易をつけての教え方でそれは理のある話だと思ったものの、文法分析の場合は違うだろうにと、日本語教育用の文法と、日本語教育文法のちがいのようにも思ったりもした
日本語教育用の文法が中国の予備教育に移入していく、そのような思い出だ。
世にいう大平学校が始まってその教科書のことだった。おそらくわたしが迎えた中国の教育部派遣の日語教師がその会議にいて、そこでの経過をもらしたものだ。古い話だから、もう許されるだろうか。東北師範大の赴日留学生の予備教育は地域もさることながらそのままの日本語で教えているということだった。そのままの日本語とは大学で行われる、地方で聞くことのある、普通に日本人が話すというようなことだ。それは緯度の同じ地域を選んで派遣学生たちが寒さに耐えるというような話もあったから、どこまでが培訓であったろう。
さらにこのJFTの文法説明は文型教育に適していたので、その会議では教え方がわからないということだったらしいが、わたしの説明で理解されたか、もうひとりの大連外語学院の日語教師によって、中国に持ち帰ってのあらたな展開をする。1979年から1980年の1年間の研修を果たし帰国したが、その後、1984年に中国に訪ねたときにテレビ用の語学講座のテキスト、日語にその文法ステップが採用されていたことを知った。研修の成果を実現したと、4冊になる構成はその教え方であった。わたしが大連を訪問したときに教えてくれた。
日本語教育用の文法は日本語学習に表され、応用されているという実感だ。そのステップはあくまで学習の便宜のためであり、ひとつに見るような文法体系でもない。しかしそれぞれに教育と学習を実現しているので、研究されるところはすすめられていたことだろう。外国語としての日本語であり、日本語教育の日本語である。
日本語文法を国内での国語に照らして考えるのと、海外で日本語としてみるのではおのずと違ってくる。それは文法理論を背景とするとするなら、国語はたとえば橋本文法で考えて文節を分析とするか、それはまた学校文法に国語の捉え方になった。知る人ぞ知る時枝文法で書かれた入れ子型の文法解説書もあったのであるから、それはまた言語過程説によるとするか、教科文法はほかにも学説によって実現していた。品詞の分類尾を見てもそれはすぐに理論によって違ってくる。
翻って日本語教育文法はその教育用から解説するところで、ひとつの例を動詞の種類で上げてみて、いくつかの分類と名称を持つ。母音幹動詞と子音幹動詞、-ru動詞と-u動詞、規則変化動詞の強変化と弱変化、第1グループと第2グループ、5段動詞と1段動詞と、それぞれの説明によってこのようになる。これはその名称に沿ってわかりよくなるのである。
が、ここに第1と第2の名付けがその説明によって逆になるものもあった。CMJの教科書では第1グル―はいまの母音幹であり、弱変化規則動詞になって、その次の第2グループに相当するものであった。その教科書の作成者にきいてみたところ、やさしい変化をさきにするという考え方だとわかった。段階的難易をつけての教え方でそれは理のある話だと思ったものの、文法分析の場合は違うだろうにと、日本語教育用の文法と、日本語教育文法のちがいのようにも思ったりもした