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卒寿

2017-12-16 | 木瓜日記

90歳、100歳が手ごろな年齢になると言ったら、どうだろうか。長寿になったというだけなのであるが、還暦という年回りは6回を迎えてのことと考えれば、それを60歳にするのか、そうであれば、さしづめ、わたしは干支のめぐりで年男になるから、これでちょうど6回目のこと、これをもって、12歳にやっとなるかという思いである。そうすれば、90歳は三十歳になって、かの教えでは而立であったから、これで意気も盛んになるころである。えい、何がめでたいか、と思う向きもあろうけれど、もっと、勉強しなければ20代、30代の若者のことがわからない、共感できない、共有するものがない、ということになる、ということは、孤立した、いや、孤絶という年齢になってしまうだろう。風邪でもひいてこじらせれば肺炎を起こして終活エンドとなることをよくよく心得て、モノを言うことになる。60歳で30年計画を見据えて、その10年が過ぎようとして、まだ、なお勉強中である。



九十歳。何がめでたい
作家:佐藤愛子 出版社:小学館 発売日:2016/08/01 ISBN:4093965374


https://ddnavi.com/news/323060/a/
佐藤愛子がヤケクソで書き上げたエッセイ集には90年間生きた人だけが得られる「人生」がつまっていた!
文芸・カルチャー 2016/9/20
>「覚悟のし方」という章
「がんばってください。ご両親が会ってくれるまで何度も彼に来てもらってください。あなたも一緒に許しを請うてください。あきらめずに何度も何度も、です。結婚は折り合ってするものではありません。これまでご両親に向けていた愛情のすべてを彼に切り替えることです(中略)それほどの覚悟と勇気がなければ結婚するものではないのです。それでも彼と添い遂げたいというなら、一生、その意志を曲げないと誓ってください」

いや、これはむつかしい。私は思う。歳月は覚悟も勇気もなし崩しにしてしまう容赦ない力を持っている。私は九十年の人生でまざまざとそれを見てきた。恋も熱病である限りやがては熱は下がることも。それが人間というものであり、「生きる」とはそういうことなのだ。といって私はこの結婚に反対はしない。やがてこの熱病の熱が下がった時にどういう事態がくるか、だいたいの想像はつくけれど、「どうしても結婚したいのなら、すべての反対に目をつむって覚悟して進みなされ」という気持ちだ。しかし同じ「覚悟」でも最相女史のいわれる「一生意志を曲げない覚悟」ではなく、長い年月の間にやがて来るかもしれない失意の事態に対する「覚悟」である。たとえ後悔し苦悩する日が来たとしても、それに負けずに、そこを人生のターニングポイントにして、めげずに生きていくぞという、そういう「覚悟」です。それさえしっかり身につけていれば、何があっても怖くはない。私はそんなふうに生きて来た。そうして今の、九十二歳の私がある。

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