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日本語史を考える

2013-09-17 | 日本語どうなるの?
日本語史を考える。

国語史がある。日本語史ともに歴史であるので歴史記述をするためには視点がある。いわゆる史観である。言語の歴史にふさわしい史観とはどのようなものか。言語が地域にあるとするならその地域の規定が必要であろう。日本語とはどこで話されている言語か。国語はどの地域で使われているか。そもそも日本という地域はどこか。国というのはどこか。民族と言語にかかわる。日本語の歴史記述にその言語が話されている地域を特定して言語の現象を求めることになる。

その視点をもてば国語は地域語また地方語にすぎない。国語史が国をどうとらえたかは議論されない。国家語としてとらえるならば国家の成立とかかわる。その説明を日本語に当てはめるとどうであるか。日本国とは、日本民族とは、日本地域とは、その歴史に見える日本語はどのような言語か。

日本語と国語とが同じ言語である。それならば日本国語となるか。あるいは日本国の言語であるとなるか。すると日本国になったのはいつか。歴史には始まりがある。事件、出来事、事象には始めと終わりがある。まだ終わらない、続いているものもある。日本の始まりはその言語に求めるとよい。しかし日本国となるとどうか。日本国語史は日本国をみればよい。国語史は国また地域をどのようにみてきたか。

自らの言語を言葉と意識した、そこから言語史ははじまる。民族の自覚である。それを記録した時に日本語がある。その言語はなんであったか。言とは、いうこと、語とは、かたること、言語とはなぜ言語なのか。字通は説文を引いて、さらに述べる。

>かつ言語は、本来論議することではなく、〔詩、大雅、公劉〕は都作りのことを歌うもので、「時(ここ)に言言し 時に語語(ぎよぎよ)す」というのは、その地霊をほめはやして所清めをする「ことだま」的な行為をいう。言語は本来呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった。


また現代の、語言 ではない、そもそも、げんご であるのか、げんぎょ であるのか、国語の歴史にそれと気づく人はいたであろう、時代が下がれば、言語四種論げんぎょししゅろん を唱えてその書名に表した。しかし、どこまでこの言語を捉えていたろうか。

>言語と連称し、言は立誓による攻撃的な言語、語は防禦的な言語。〔説文〕三上に「論なり」とあり、是非を論ずる意とし、また〔礼記、雑記下〕に「言ひて語らず」とは、人と論説しない意である。―中略― このような呪誦は、わが国の「風俗(くにぶり)の諺」に類するもので、地霊によびかけるものであった。言語はもと呪的な応対の語であったが、のち一般の語をいう。

この字通が明らかにする解説は拠って知る。上記中略は、大雅を引き、さきの、言 に詳しい。

国語はこの字義を解釈しない。国語だからである。日本語はその非理無儀を問う。非理の現報、無義の悪報である。

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