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婉曲表現

2013-07-04 | 日本語教育
婉曲について疑問が出た。とおまわしのいいかた、と言ってみて、ようだ がそれであるというふうになって、比喩などの使い方は遠まわしになるけれど、直喩ではどうかなと思っていてそれで、ようだ については、婉曲かどうかということで、婉曲という字義について調べ始めた。

それで、一通りの理解をしたわけだが、日本語にある婉曲とはどういうものかと検索をしていたら、

日本語教育における「ようだ」の婉曲表現としての機能分類について 

という論考がヒットした。
日本語教育の現場で、ようだ みたいだ の婉曲表現を学習者に理解させるという趣旨だった。

みたいだ と並んでいるので、そうかと思って、立ち戻って辞書を確かめた。

現代語の説明となるのだろうか、不確実な判断という説明があって、婉曲と不確実さは似て非なると思いながら、婉曲な断定があるのかと考え込んでしまった。

婉曲は、直接言うのを避ける、断りなどで使う言い回しである。
>「婉曲」とは、はっきりと意見を言わずに、間接的、或いは感情を抑制して相手に考え方を伝えることを意味する言葉だ。
 わたしは入学してきたばかりの新入生たちに、「難しい=無理だ」と教えている。もしそのように教えないと、あとで面倒なことになるかもしれないと思っているからだ。たとえば、日本人は何か提案を受けた場合、よく「難しいですね」という風に相手に応答することがある。しかし、もしこの「難しい」の本当の意味を知らなければ、その人は、きっと「どのようにこの難点を克服すればよいのだろうか」と考えてしまうだろう。しかし、はっきり言ってそれは無駄なこと。なぜなら、日本人は「難しい」という言葉を使って、婉曲に断っているからだ。難点を克服する可能性はゼロなのだ。
【第2回】「難しい?」--日本人の特徴「婉曲」  人民網日本語版>>笈川幸司コラム


辞書にも、言いまわしが穏やかでかど立たないさま、露骨でなく、遠まわしに言うさま、とある。
また、文法で、事柄の実現が可能であったり予想されたりすることを、はっきり断定しないで、推量のかたちでやわらげて表現する言い方である、と解説する。
これならわかりよい。


ようだ みたいだ について辞書の説明である。番号は辞書の意味項目の枝番である。
3 不確かな、または婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。「外は雪が降っているみたいだ」→みたいです
2 不確かな、または、婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。「雨が降ってきたみたいですね」
3 (主に文末に用いて)不確かな、または婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。「この機械はどこも故障していないようだ」
5 (「ように」の形で)婉曲(えんきょく)な命令・希望の意を表す。「開始時刻に遅れないように」「今後ともよろしくご指導くださいますように」

ここにある説明は婉曲な断定としているので、これが問題になるところだ。

さきの論考の引用にも、断言するのを避け、ようだ を用いて婉曲に表現する、とか、確実な判断が存在することを前提として、不確実であるかのように表現する、という解説である。
これでは、遠まわしの言ういかただけのことで、婉曲のそもそもが理解されていない。


婉曲法を表現法と見ると、次のようである。ウイキペディアより。
>婉曲法とは一般に、否定的な含意を持つ語句を直接用いず、他の語句で置き換える語法である。具体的には聞き手が感じる不快感や困惑を少なくする目的で、あるいは話し手がそのような不都合やタブーへの抵触を避ける目的で用いられる。
また語句自体が必ずしも不快でなくても、不快な概念を連想させるのを避けるのに用いられる。このタイプは社会的・政治的に利用される場合にはダブルスピークとなる。また、聞き手にとって無意味もしくはかえって不快と感じられれば、「ぼかし表現」として批判の対象となる。
婉曲法が礼儀正しさと同一視されることもあり、敬語として用いられる言い回しも多い。また、悪いことばが不幸を招くという迷信(ことばに対するタブー・言霊思想)や宗教思想に基づく婉曲法もある。婉曲法では、語句は多少なりとも文字通りの意味を離れ、メタファーの性格を帯びる。



もう一つの例は、日本語教育への応用で述べるところである。


>認知心理学の言語処理モデル
(1)辞書的処理:文を構成する個々の単語の処理。例えば、「あなたは昨日、牛丼を食べましたか?」という質問に答えるためには、ʠ牛丼ʡが何を指しているのかについての理解が不可欠である。この理解を可能にしているのが辞書的処理である。
(2)統語論的処理:統語論的(シンタクス)知識を利用して文の意味を解析する処理。例えば「次の朝に正夫を新聞を読んだ」という文は文として容認できないという判断を可能にしているのが統語論的処理である。
(3)意味論的処理:意味論的知識を利用して文の意味を解析する処理。例えば「無色透明の黒い悲しみが、めらめらと音を立てて立ちすくんだ。」この文は文法的にはどこにも誤りはない。しかし、正常な日本語感覚の持ち主であれば、この文は日本語として不自然だと判断するはずである。この判断を可能にしているのが意味論的処理である。
(4)語用論的処理:発話の文脈に応じて発話者の意図を解析する処理。例えば、会社で上司が日頃あまり勤務態度のよくない部下に向かって「君はほんとによく働いてくれるね。涙が出るほど嬉しいよ」と言った場合、これは褒め言葉ではなく「皮肉」だと理解すべきである。この理解を可能にしているのが語用論的処理である

例えば講義が始まる前の教室での、「君、何か役に立ちような本を持っていない?」(依頼)のような8つの婉曲表現を呈示し、それぞれの婉曲表現に対し自分ならば日本語でどう応答するかを考えさせ、あわせて、そのように応答する理由および発話の意図を尋ねた。 以上のような手続きで収集したデータを、多変量解析法(数量化理論I類)を用いて分析し、日本語の学習期間の長さ、滞在期間の長さ、婉曲表現の経験の有無、専攻領域の要因が婉曲表現の理解度(正答数)にどの程度の影響を及ぼすかを調べた。その結果、婉曲表現の経験の有無および学習期間の長さの影響が大きいことが明らかになった。


婉曲は、字を制限されて、えん曲としたり、遠曲としたりしたことがあった。ようだ には推量の用法があり、論考の筆者が推測するようなことでもあろうか。


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