月末
2007年11月30日07:00
前線は南海上へ去った
日差しが戻ってきそうだ
大陸から高気圧が張り出す
紅葉はまだ見ごろとなるだろう
学力低下のニュースだ
>11月30日0時30分配信 読売新聞
経済協力開発機構(OECD)が昨年、世界の15歳を対象に実施した国際学習到達度調査(略称PISA)で、日本は2003年の前回調査で2位だった「科学的応用力」が、6位に転落したことがわかった。
加盟国平均を500点に換算すると、日本は531点。前回に引き続きトップだったフィンランドと比べると、32点も下回り、「技術立国ニッポン」を支える若い世代の科学力の低下が浮き彫りになった。
PISAは3年ごとに実施されており、昨年が3回目。OECDの加盟国を中心とする57の国・地域の15歳の男女40万人を対象に、<1>読解力<2>数学的応用力<3>科学的応用力――の3分野で実施された。日本の受験者数は公表されていない。
世の中
2007年12月01日23:46
世の中は社会である
社会は人間世界である
人間は人としての境界である
世の中は男女の世界でもある
世とは代でもある
代は余であるのか
余はまた予であるのか
よとはなにをさすか
人間世界の語がわかりよい
にんげんと、読むのは何故か
人間、じんかんと呼んでもよさそうだが
人と人のあいだが、人間である
それで、にんげんと読む、読み方を探る
語源辞典では、呉音であることをさして、漢音との違いをとくにないとする
仏教語の翻訳であること、世の中を指すとする
ウイキペディアで、人間を引くと、人間論として
>人類を他の生物種から際立たせる特徴は幾つかある。最もよくかつ古くから指摘される事は言語の発達使用と思考の能力である。知性をもつ生物は人間以外にもあるという指摘はあるが、言語の使用が人間が発達した社会をもつことを可能にした事は確かであろう。社会は大抵の場合人間相互の支配関係によって特徴付けられるため、古くから支配と権力の形態により社会を分類する事が行われてきた。
>言語はコミュニケーション能力として社会の基礎を与えるだけではない。人間は世界を把握・言語化しそれを操作して快適さを追求し、又、外界の変化を行っている。又、人間は自らについて考察を行う。人間は古来より人間自身の思考の対象としてきた。人間と人間自らの行為を考察の対象とする学問には、倫理学、歴史学、考古学、人文地理学、文化人類学、人間学、心理学などがある。
>一般的ではないが、自我の発達が人格やアイデンティティの形成に繋がり、人間らしさを特徴付けるという考えもある。
人間とは、はてなダイアリーが、纏める
>ひと。人類。霊長類ヒト科ヒト。ホモ・サピエンス。
人格。人間性。
(「じんかん」と呼んで)人の住む世界。
仏教用語で「世の中、人の世」の意。江戸期に「人」の意が加わる。仏教用語であるため、「にんげん」(呉音)と読むのが慣例であるが、世間一般では「じんかん」(漢音)で「世の中」の意と限定する逆転現象が生じている。「にんげん」で人、「じんかん」で世の中と使い分けなければならない明確な理由はない。単なる通例である。
漢詩で用いる場合は、「人」の意では使われない。
>『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか』(幸若舞「敦盛」) ※下天は天界の最下層。下天の一日は人間界の五十年にあたる。歌の成立時期から「人の世」と限定されるが、ふつう「にんげん」と読む。
それで、ちょっと、寄り道をして人間研究所なるところで
性格診断をしてみて
http://www55.channel.or.jp/human_labo/index.php
よくあたると思う
もうひとつの語である、世界はどうか
世であるから、よ、となって、これは代々か
界は、境界とみたが、これらが社会思想となるには
宗教哲学とかかわるだろう
世界を、グーグルで探って、ウイキペディアを見てみると
>インドから中国を経て日本に入ってきた歴史がある。 源流となっているサンスクリットは「loka-dhaatu」である。「loka」は、「空間」や「(林の中の)木の無い場所」「空き地」のようなものを意味していた。「dhaatu」は界を意味する。「loka-dhaatu」は仏教用語として用いられた歴史があり、「命あるものが生存し輪廻する空間で、そこにおいて一仏が教えを広める空間」を意味する。
>このサンスクリットが中国語に翻訳された時に「世界」となった。「世」には時間の観念に重きをおいた字であり、「界」は空間に重きをおいた字であり、「世界」は、時間と空間の両方に配慮した訳語である。ある経典では、東西南北上下が界であり、過去・現在・未来の三世が世である、といった主旨のことが述べられている。
>中国において最初は仏教用語であった「世界」は、詩歌の分野において(特に唐詩において)次第に「世の中」や「世間」といった意味で使用されるようになった。
>上記の歴史が積み重なった状態で「世界」という語が日本に移入され用いられることになった。
すると、人間世界で、表そうとしたのは、時間空間を含んで、歴史にも地域にも、そして人々のよって来るゆえんを表そうとする
そうなると、世界を世間と見るか
けん、と読むには、人間、無間、世間、一間・・・
ひと、は、何だろう