
主体が二つあると説明に困る、ということだったのだろう。総主となる主語に対して主語を構造に持つのは大天守と小天守のようにいかなかったかと想像をしてしまう、三上章氏の授業での思いか、女学生を相手に国語の授業でどうにもならないと思ったと、注書きに記していたように思う。そこから主体者は一つだというのだから、これは私が類推してのこと、日本語での主語廃止、主語抹殺論を文法の考え方として展開して、用語における主格主語を主格補語とする後継者たちにその議論が広がった。主体を以て言うのではなかったので、主語を補語に位置付ける文法であった。それは大主語とも小主語ともいう国語の構文での説明に異を唱えたものであるから、言語主体についてはどうとらえたか。
