
一語文を文であるとする議論はそれを見て、つまり一語を見てかあるいは聞いてか、それだけで文だというには、文とは何かという視点からするといわば出発が異なる。これから文についてのとらえ方を、語と語と連続する表現のものとすると、まったくあわない。それまで句とするところを文としてしまった取違いであると考えれば何が文法になり、何が文章になるかと、発話を単位とする談話でも然り、それまで言われている文章が前提となることを受け入れることができる。句は語のひとまとまりで語における機能を持つから句をどう説明するかをとらえなおすことがある。一語文とする用例を句とみればそれは語であるのか。時枝学説の句構造がにポン語の現象に一つの解釈を立てている。。
