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ドラマが繰り返す

2018-04-22 | BS放送

面従腹背のストーリーである。繰り返し、老論派と一方の勢力としての王妃側の策略は、これは、いったい全体、どうなっているのかなと、遅ればせながらのドラマの感想で、そのしつこさにははまってしまうようなことである。面従後言、面従腹誹などと、これをクライマックスにするとなれば、儒教精神の象徴がここに解釈としてあるのかと、わが思考を思いなおす。我が国にも、この語を座右の銘と据えた高級官僚がニュースになったことを思い合わせたりして、組織人間の持つ権力への執着であるから、それをそのままに、歴代大統領が罪人となり極刑を受ける国情をむべなるかなと、民主主義になっているはずなのだが、よくわからないことが、少し見えてくる。



ウイキペディアより
>『イ・サン』(原題:이산 李祘)は、韓国の放送局MBCで開局46周年の特別企画ドラマとして、2007年9月17日から2008年6月17日まで毎週月曜日・火曜日の21:55から23:10まで(現地時間)放送された、李氏朝鮮22代国王である正祖(チョンジョ)を主人公とした時代劇ドラマ。全77話。

監督は「宮廷女官チャングムの誓い」のイ・ビョンフンであり、同作に出演した役者も多数出演している。

ストーリー
李氏朝鮮第22代国王である正祖ことイ・サンを主人公とした物語である。朝廷内の派閥争いや当時の朝廷内の機関である図画署(トファソ、主に朝廷内で起きた行事を絵で記録するための部署)などにスポットを当て、サンの即位を阻止しようとする陰謀、即位後も常に命を狙われつつ、政治の改革に着手するサンの波乱に富んだストーリーが展開される。サンの父・思悼世子は、サンの祖父であり李氏朝鮮第21代国王である英祖の後継であったが、朝廷内の派閥の陰謀により無実の罪で刑死させられた結果、紆余曲折の末にサンが英祖の後継となる。当時の朝廷内は老論派(ノロン派)と呼ばれる派閥が重きをなしており、老論派と対立する少論派(ソロン派)および南人派(ナミン派)を支持するサンは常に老論派から命を狙われることとなるが、幼少期に出会い友情を結んだパク・テスやソン・ソンヨン、父が重用していた忠臣などの助けにより、朝廷内の誤った慣習を撤廃させ、当時の政策に改革を加えるなど、自身の理想とする政策を立案、実行する他、派閥を問わず能力のある者を登用し、朝鮮末期文化に華を開かせた。

イ・サン(李祘)・チョンジョ(正祖):イ・ソジン-(川島得愛)幼少期:パク・チビン-(本城雄太郎)
この物語の主人公で思悼世子の次男で、英祖の孫にあたる。後の李氏朝鮮第22代国王・正祖。正室は孝懿(ヒョイ)王妃(清風金氏)。
11歳の頃に老論派の陰謀によって父が刑死させられる直前にソン・ソンヨン、パク・テスらと出会い、身分を超えた友情を結ぶ。その後も2人を温かく見守りつつ、ソンヨンに好意を抱くようになる。父が刑死したのちに老論派の諸臣が「罪人の息子は王になれない」と主張したため、英祖の長男である孝章世子の養子となり、英祖の後継者(世孫)となる。持って生まれた洞察力と明晰な頭脳は祖父・英祖から受け継いだが、人間に対する暖かい見解が祖父とは異なる。学問が好きで、武芸にも優れる。「聖君になれ」という父の遺志を継いで王になることを決意し、祖父である英祖から後継者として多くを学び、成長後は父を死に至らしめた老論派を敬遠し、少論派や南人派などの臣下を身の回りに置き老論派を牽制するようになるが、即位を阻もうとする老論派の敵対勢力に命を狙われる。
25歳で即位する際には「私は、思悼世子様の息子だ」と臣下に向かって宣言し、父の無実と正当性を示した。水原華城 (世界遺産)に代表される優れた建設技術や新しい文物の西学導入など、朝鮮末期文化の華を開かせ、ハングルを創造した世宗大王(李氏朝鮮第4代国王)と並ぶ好学の王としての誉れ高いが、生涯に10回以上反対勢力からの刺客による暗殺未遂事件を起こされる波乱の人生を送った。
1800年6月、病が悪化して49歳で予期せぬ死に倒れる。墓は遷都予定だった水原に所在し、父である荘献世子(チャンホンセジャ)の隆陵の脇に建てられた健陵である。なお、本名はイ・サンであるが、サン(祘)は諱であるため当然劇中でその名が呼ばれることはなく[6]、世孫(セソン)または世孫邸下(セソンチョハ)(日本語ではサンに対する呼称が、単に世孫であった場合はそのまま読まれるが、(世孫)邸下であった場合は世孫様と訳される)の名称で、王に即位してからは主上殿下(チュサンチョナ)(日本語では王様)の名称で呼ばれる。また、ソンヨンとテスと初めて会ったときに名前を訊かれてとっさにムドク(武徳)と名乗って以来、お忍びの際には必ずイ・ムドク(李武徳)いう偽名を用いる。
第34回で行幸中にチョン・フギョムと共に髭を蓄えた。

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