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闘将、逝く

2018-01-07 | ニューストピック
ニュースの扱いがトップである。偉大な人であったのだろう。野球選手では長嶋氏、王氏と並ぶ時代に活躍した。古希の年齢で、逝くのが早すぎると惜しむ声がある。ガンに勝てなかった。ご冥福を祈る。


http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=516580&comment_sub_id=0&category_id=112&from=news&category_list=112
闘将、貫いた 星野仙一さん死去 
2018/1/7 朝刊

ナゴヤドームでの最終戦後、ファンにあいさつする中日監督時代の星野仙一氏。この年に辞任した=2001年10月2日
 プロ野球中日のエースとして「燃える男」、中日、阪神、楽天の監督では「闘将」と呼ばれ、二〇一三年に楽天を率いて球団創設九年目で初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が四日午前五時二十五分に死去した。七十歳。岡山県出身。密葬は六日、近親者で行った。後日、お別れの会を開く予定。
 楽天によると一六年七月に急性膵炎(すいえん)を発症したことをきっかけに膵臓(すいぞう)がんであることが判明。昨年十一月と十二月に行われた星野氏の野球殿堂入りを祝う会には出席したが、十二月末に病状が悪化したという。

星野さん語録
○1968年(ドラフト会議で事前に指名を約束していたという巨人が島野修投手を選び)「星と島を書き間違えたのではないか」
○74年(巨人の10連覇を阻止してセ・リーグ優勝した祝勝会で)「日本シリーズは邪魔。巨人に勝ったからもういいんだ」
○82年11月(ファン感謝デーで現役引退のあいさつ)「燃え尽きたのでマウンドを降ります」
○86年10月(中日監督に就任)「選手には『覚悟しとけ』の一言だ」
○2001年10月(中日の監督退任セレモニーで)「わたしほどドラゴンズファンに愛された男はいないと自負している」
○01年12月(阪神監督就任が決定)「人間というのは助けてくれと言われて助けないと悔いが残る」
○03年1月(阪神2季目に)「勝ちたいんや!」
○07年1月(日本代表監督として北京五輪を目指すことになり)「自分は何と運のいい男かなと思う。(五輪では)金メダルしかいらない」
○10年10月(楽天監督就任)「そろそろ野球をしたいと思っていた。東北を熱くする、それが私の仕事だ」
○11年3月(シーズン開幕前に東日本大震災の影響を受け)「困難、苦難は乗り越えられるやつにしか降りかからんのや、と自分に言い聞かせている。弱音は吐けない」
○13年9月(球団初のパ・リーグ優勝)「これは本当かな。ほっぺをつねりたい。東日本大震災から東北の皆さんの苦労を少しでも和らげようとやってきた」
○13年11月(球団創設9年目で初の日本一)「もう最高。東北の子どもたち、全国の子どもたち、被災者の皆さんに、これだけ勇気を与えた選手を褒めてやってください。最後はあいつ(田中将大)がふさわしいだろうと彼に託した」

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