現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

日本語による哲学

2020-01-16 | 本を読みます

日本語哲学というなら、英語哲学、ドイツ語哲学、そのような言い方があるのか、言語哲学というのがあるから、日本語という言語による哲学ということになりそうである。ウイキペディアの、次に見える二つを、言語の哲学と、言語的哲学と、その立場を設定しての議論が必要である。言語哲学というと、言語そのものの哲学のようであるから、もともと哲学は言語によるとして、その言語手段にはどの言語にも通用する普遍性があると考えてよいはずである。だが、どうもそうはいかない。
>1言語の構造・意味・使用法・レトリック等についての哲学。言語の哲学(philosophy of linguistics)とも呼ぶ。
2分析哲学、いわば、言語こそが先立つものであり、言語の理解なくして哲学の問題は解決されえないとする哲学。現代では哲学のほぼ全てにわたる。言語の哲学(linguistic philosophy)とも呼ぶ。


日本語で哲学する
2020-01-15 | 思い遥か

日本語を哲学で考えることか、哲学を日本語で分析すると、そこに論理の構造が、西洋が透けて見えるのか。面白そうであるが、果たして、どうか。
本を紹介するサイトから、徳間書店学芸編集部 力石幸一さん、メッセージ
>本書は、日本語を日本語で哲学することで、新たな哲学の地平を切り開く画期的な試みである。日本語は哲学的にも奥の深い言語だったということがわかるはずだ。
amazonの宣伝レビューでは、>「言語」と云う底知れぬ深み。2018年9月4日に日本でレビュー済み 長文がある。

【編集者のおすすめ】『日本語は哲学する言語である』小浜逸郎著 ...
https://www.sankei.com › life › news › lif1808250022-n1
2018/08/25 - 日本語は曖昧で情緒的だといわれる。だから哲学には向かない言語だと思われてきたが、本当にそうだろうか。確かに、西洋哲学はデカルト以来、主客を分離し、世界を対象化することで科学技術を発展させてきた。その合理主義の論理は圧倒 ...

amazon
>
日本語は哲学する言語である (日本語) 単行本 – 2018/7/21
小浜 逸郎 (著) :¥2,200
内容紹介
日本語は、曖昧で情緒的な言語とみられてきた。一方でデカルトに代表される西洋哲学は、言語をロゴスとして捉え、人間を理性的存在とみなして、情緒的なあり方をパッションに閉じ込めてきた。それゆえ人間の身体性やいまここに立ち現れている現実が歪められてきたのも事実である。本書は、日本語の「曖昧さや情緒」を文法構造に分け入って分析することで、これまで普遍的とされてきた思考とは異なる世界理解を切り拓く日本語による哲学の試みである。
内容(「BOOK」データベースより)
日本語を日本語で哲学すれば、デカルトやハイデガーが、何を間違えたのかがよくわかる。西洋哲学がそのロゴス至上主義ゆえに逢着してしまったアポリアを超えて日本語の文法構造から新しい日本語の哲学を切り拓く画期的な試み。
著者について
1947年、横浜生まれ。横浜国立大学工学部卒業。批評家、国士舘大学客員教授。思想、哲学から仕事、教育、家族など現代日本が直面している社会問題に対して幅広い批評活動を展開している。著書に、『福沢諭吉 しなやかな日本精神』『デタラメが世界を動かしている』『13人の誤解された思想家』(PHP研究所)、『日本の七大思想家』(幻冬舎)など多数

登録情報
単行本: 320ページ
出版社: 徳間書店 (2018/7/21)
言語: 日本語
目次
第1章 西洋哲学と格闘した日本人(デカルトの「疑い得ないわれ」を疑う
大森荘蔵の「立ち現れ一元論」 ほか)
第2章 日本語は世界をこのようにとらえる(「いる‐ある」問題
「こと‐もの」問題 ほか)
第3章 言葉の本質(言葉の本源は音声である
言葉は世界を虚構する ほか)
第4章 日本語文法から見えてくる哲学的問題(品詞分類批判
統辞論 ほか)
第5章 語りだけが真実である(真理・真実とは何か
現象が「事実」や「真理」になるための条件 ほか)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。