
「言語は主体を離れては、絶対に存在することのできぬものである」
主体の外にあるのではないから主体の内にある、その内とはどこか。
心的過程のあるところ、その心はどこにあるかと、概念過程ともにあるととらえるとは、どうすることか。
どうなることか、記憶か神経パルスの働きか、神経細胞を脳内においてみる言語主体なのであるから、音声という記号はとらえるのか。
一次過程、二次、三次があって、概念過程を経るか経ないかと、図解をわかったつもりでいてそんな抽象はありえないのだろうと、主体の何たるかを知ることになる。
55年前の読了にはそんな思いがあった。主体と客体のさらなる探究に向かうことになるが、言語の主語は何かについてあらためて知る文法の探究である。
