
文法論を何に学ぶかは文法観を持つことになり文法の立場を持つことになるとその文法学説を学ぶことで教えられたというのが学びの始めにあったからどれを選びどれを手に取るかはいわばその時流に合ったように思える偶然のことでもあり懐かしく取り出してみると、大阪の阪神地下街古書店の萬字屋書店の付票が貼りついた古書を入手しているそれは口語と文語篇を合わせて19690808の日付を自ら記す奥の扉返しで時枝誠記著日本文法岩波全書がある。1950年口語篇1954年文語篇いずれも1968年の第22と第14の刷りである。なんと奥付に350円と400円の値段が見える。
犬だ!という例文が1語文解説にある。
時枝学説では、落ちる!というのを原論か何かで説明していたような記憶がある。
さて、この口語篇で言及する1語文とはいかなるものか。
> 犬!
においては、1単語の表現のやうに見えるが、ここには語として表現されない話手感情が、抑揚、強調の形式を以て表現されて居り、文字言語として!の記号を以て表現されているのである。 日本文法口語篇 233ページ
ここに記号の説明をしている。その感嘆符は感情の抑揚、強調の形式という。続けて、次のように言う。
>して見れば、この表現も主客の合一した具体的な思想を表現したものとして、文といふことができるのである。一語文 sentence equivalent と云はれるものがそれである。
時枝説で主客の合一には文章論にも及ぶ学説理論があるので、この1語文をもってして、one word sentence とだけで議論をするのが難しい。時枝学説、文法学の要に及ぶ言語過程説からとらえることである。したがって、ここからの議論にするならばその立場を踏まえなければならないし、その理論ではすでにここでも具体的思想の表現であること、統一性があること、完結性があることは自明となる。
>犬だ。
といふ表現になると、客体界の表現「犬」と同時に、それに対する判断が、「だ」といふ語によって表現されて、ここに主体、客体の合一した具体的な表現が成立する。これが即ち文と云はれるものである。 同上 232ページ (なお、引用には通行字体に直した)
この説明によって、「まあ!」についても具体的な思想の表現と時枝学説は規定する。
